12 月 16 日 昭和のクルマといつまでも
BS 朝日で放送されている同番組を楽しみに見ています。以前はおぎやはぎの「愛車遍歴」を見ていました。でも、車がそれほど
好きでもない芸能人の愛車自慢だったり、司会者の横柄な態度だったりに嫌気がさして見なくなりました。とかなんとか言って
ますけど、一番の理由は自分が旧車を降りたこと。いつまでも未練がましいのはよくありません。
そうはいいながら、年月がたち、いつの間にか「昭和のクルマといつまでも」を見るようになっていました。この番組では
30 年以上同じクルマに乗り続ける方にスポットをあてて紹介しています。
登場する方やクルマにも幅があって非常に面白い。学生時代に親に買ってもらった国産スポーツカーを大事にしているお医者さんを
見ると、自分の出自を嘆き、走る機能の維持・修理に手一杯で穴のあいたボディ修理にまで手の回らないオーナーを見ると、
激しく共感するといった具合です。
この番組によく出てくるのは、地方の方。さすがに取材に便利な関東近郊がメインで、まちがっても四国に来ることは、
そうそうありません。
でもね、愛媛にも好きモノがいます。以前、カミさんの実家の知り合いが古い車を持っているというので伺ったところ、オート三輪や
スバル 360 が何台もあり、たまげました。近頃でも、隣の大洲市ご出身の方が自分のコレクションの展示を地元で始めたというので、
見に行ってきました。
一階に四輪、二階に二輪が展示してあります。ファミリア、懐かしいですね。私が最初に買ったのが、この形のファミリア 1500 XG の
銀色でした。今みてもシンプルなデザインに惹かれます。
二階の二輪はまあ、すごい台数だこと。1960 〜 1970 年代のバイクが中心で、私よりも 10 歳くらい上の世代の方なら感涙ものでしょう。
こちらの「水車小屋 Wheel」は常設で展示しており、\500 払えば誰でも見ることができます。不定期に展示車両の入れ替えも
するようなので、たまに覗いてみることにしましょう。
12 月 16 日 東温アルプス(上林峠〜竜神平)
東温アルプスをコンプリートするために、またまた皿が嶺。こんなに皿が嶺付近に通うことになるとは、半年前には思いもよりませんでした。
面白いものです。今回歩くのは次のコース。
上林峠→竜神平→皿が嶺→畑野川
東温アルプスをつなぐためだけなら、上林峠から竜神平まで上って引き返せばいいだけ。ですけど、折角なので山頂まで行ってから、
通ったことのない畑野川ルートで下りることにします。
11 月 10 日に井内峠に行ったときは、シャツ 1 枚で歩き始めました。さすがに 11 月末ともなるとフリースを着ても寒いくらいです。
車をとめた場所から上林峠までは知っている道。
峠から左折した先は未体験の道です。霜の降りた急斜面を上がっていきます。冷えた空気が澄み切っており、気持ちいいこと
この上ありません。この澄み切った感じ、朝のスキー場の空気をおもいだしました。
この写真以降、写真がとれていないことに気づいたのは下山中のこと。ウチのデジカメは寒くなると、すぐに弱音を吐いてバッテリー
切れを警告します。今回も最初はその警告だったのですが、途中からはメモリー不足の警告に変わっていたのです。
それに気づかず、画像を削除せずに写真をとり続けた結果、上の写真以降のものは保存されていませんでした。
しかも、やらかしのはこれだけじゃありません。下山後、車のシートに座ってスパッツを外し、登山靴を脱いだところ、スパッツを
そのまま駐車場に置き忘れてくるという体たらく。
空気の澄んだ皿が嶺は爽快でしたし、東温アルプスもコンプリートしたというのに、ちょっとトホホな山登りでした。
12 月 16 日 また故障
バイクがまた壊れました。バッテリーがあがりそうなので充電のために乗ろうとエンジンをかけたところ、なんとかかかりました。
ところが、家から数分走ったところでエンスト。セルを回すとかかるもののすぐ停止。歩道に移動して何度かセルを回したら、
バッテリーが弱ってセルが回らなくなりました。
これまでのバイクは、バッテリーが怪しくなったときでもエンジンさえかかれば、走ることができました。今回のように、一旦かかって
暖まったはずのエンジンが止まるのは、前回の CDI 故障以外には経験がありません。
ウチまで押して帰ったところで直るはずもないので、バイク屋さんまで 15 分くらい押していきました。この距離で故障してくれて
よかった。ひと山超えたところで故障したら押していくのはムリ。
素人考えですけど、今回も電気系統が匂います。前回購入した CDI は中古なので、いつ壊れてもおかしくありません。早速、
インターネットで予備の CDI を購入。予備の CDI を試してもらったところ症状は変わりませんでした。そうなると、残るは
パルス・ジェネレーターです。
パルス・ジェネレーター、新品部品はありませんし、中古部品でもなかなか出てこないんですよね。入手するには中古エンジンを
買ってそこから取るしかありません。でも、エンジンを買ってパルス・ジェネレーターを交換したところで、なおるという保証が
ないのが悩ましいところ。
私の CBX250RS は 1983 年製です。ヤフオクで探したところ、部品取り用は何台か出ていても、ナンバーが付いて公道を走れる
車体は見当たりません。バイク屋で売っているものを探しても日本全国で 1 台程度。もともと不人気車だったのが今では
絶滅危惧車になってしまいました。
製造から 38 年経過しているとはいえ走行距離は 2 万 2 千キロと少ないので、エンジン関係はまだ問題ないでしょう。問題になると
すれば電装系。電装系が原因で交差点右折時にエンジンが止まった日には、私も一巻の終わりです。当分乗れると思ってたけど、
甘いのかなあ。
12 月 31 日追記
結局、ドナー用のエンジンを購入。
そこから取り外したパルス・ジェネレーターを移植することで、エンジン復活しました。直ったとはいえ、交換した中古部品もいつまで
もつか分からないので、手放しでは喜べません。
12 月 16 日 グリーンブック
「グリーンブック」というアメリカ映画を市民文化センターで見ました。劇場で見のがした、2018 年の映画です。時代設定は 1962 年の
アメリカ。黒人のジャズ・ピアニストが白人の用心棒兼運転手をやとって南部にコンサート・ツアーに行くというもの。
映画自体はまあまあでした。それよりも、帰ってから周辺情報をしらべていて驚いたのは、いまだに黒人が日没後に歩くと危ない町が、
ディープ・サウスどころか北部や東部の街にも多数あるということでした。
もともと「グリーンブック」というのは、黒人差別のひどかった 1960 年代に黒人が自動車で安全に旅行できるようにという目的でつくられた
ガイドブックの名称です。ところが、あるサイトによれば、今でも全米に Sundown town とよばれている町があり、ここでは黒人が
夜間に出歩くのは危険だそうです。
20〜30 代にかけては好奇心から何度もアメリカに行きました。いくつかの州ではドライブもしたものです。ニュー・ジャージー州だった
でしょうか、ドライブ中にどこかのマクドナルドに入ったところ、店内に有色人種が自分だけしかおらずイヤーな感じがしたのを
思い出しました。危ない目にあわなかったのは単なる偶然だったのかも。
12 月 16 日 ツタヤ閉店
ツタヤ八幡浜店が 11 月末をもって閉店しました。昨年はジョイフルというファミレスが経営不振を理由に閉店しており、またかと
思いました。でも、ツタヤの閉店は「八幡浜だから」という理由ではなく、都市部を含む全国各地で続いているもようです。
どうやら Netflix や Amazon Prime などのオンライン型視聴サービスが優勢となり、店舗で借りるというスタイルが時代遅れになって
きているようなのです。ちなみに、私はどちらも利用していないので問題外。
閉店に対して何の感慨もない私とは違い、中学、高校の 6 年間、ツタヤにお世話になったウチの子に閉店のニュースを伝えたところ、
激しく動揺してました。田舎の子にとっては最新の CD、マンガを借りられる貴重な場所でしたからね。子どもが大変お世話になりました。
11 月 10 日 東温アルプス(井内峠〜白猪峠)
通行止めもなんのその。またも行ってきました東温アルプス。県道 210 号が工事のため、井内峠までたどりつけなかったのは前回
報告ずみです。工事が終わって、雪がなくなる来春まで待つことも考えました。でもね、この機会にかたずけておかないとおっくうに
なるような気がしたので決行しました。
ちょっと考えればわかることですけど、遠回りして反対の久万高原側から県道 210 号に入れば井内峠まではつながってますから。
今回は次のコースを往復します。
井内峠→無名ピーク1→梅ケ谷山→無名ピーク2→樽谷山→根無山→白猪峠
久万高原に入った頃はガスっていたので心配しましたが、登山口に着くころにはガスはきえていました。8 時 25 分に登山開始。
11 月ともなると長袖シャツだけではさすがに肌寒く感じます。しかし、空は晴れ、うっすらと紅葉した木々のなかを歩くのは爽快です。
30 分ほどで無名ピーク 1 を通過、少し下ってから梅ケ谷山まで急登が続きます。
梅ケ谷山の山頂は見晴らしがきかないものの、少し先までいくと急に展望が開けました。山登りはこうじゃなきゃ。
正面に見えるのが東温アルプス終点の石墨山、その左下がりの肩のところが前回歩いた法師山のあたりです。背後に見えるのは石鎚山。
一気に気分があがります。しばらくここにいたいけど、それじゃあ目的の白猪峠につきません。帰りにはここで休憩することにして先を
急ぎます。
結論からすると、この先にこれよりも景色のよいところはなく、ひたすら広葉樹林帯を上ったり下りたりを繰り返しました。白猪峠には
出発から約 3 時間後の 11 時 20 分に到着。普通の登山と違って復路も往路と同じだけ上り下りを繰り返さなければならないので、
お昼を食べてすぐに出発です。おまけに怪しい雲もでてきました。
今回のコース、今まで歩いた東温アルプスの中で一番きついコースでした。それはピークの多さ。名前のついている山は 3 つですが、
名前のついていない無名ピークが 2 つあります。結局、5 つのすべてのピークごとに上り下りしなければなりません。
上りにさしかかっても、途中からはボヤく元気すらなく、機械のようにひたすら上ります。
ようやく見晴らしのよい場所まで戻ってきました。残念なことに雲がでてしまい、朝のような景色ではありません。それでも、カップ・ラーメンを
食べて中休止です。
梅ケ谷山をこえれば後は下るだけと思っていたら、まだ上りがあります。そうでしたそうでした無名ピーク 1 があるのでした。もう来ることは
ないかもと思いながら歩きます。
駐車場には 14 時 50分 に到着。東温アルプス・シリーズの中ではもっとも長い歩行時間でした。
3 回にわけて歩いた東温アルプス、これで 90% 完了です。欠けているのは、皿が嶺〜神林峠の竜神平から神林峠の部分のみ。
ここはアクセスも容易で、半日もあれば歩けそうなので、いずれチャチャっとすませることにしましょう。
東温アルプス、今回も誰とも会いませんでした。やっぱり一般向けじゃなかったかも。
10 月 20 日 No Time to Die
007 の最新作、No Time to Die を見てきましたよ。あいかわらずのハラハラドキドキです。
ワタクシ、007 が大好きです。昔はあまり興味がなかったのですが、大学生の頃、急に興味をもちました。ちょうと、
池袋の文芸座で 007 の特集をしていたので、それまで見ていなかった作品を一気に見たものです。
それ以降、大半の 007 シリーズはロードショーで見ています。今回はダニエル・クレイグが扮するボンドの最終作という
ことで期待して見に行きました。オープニングで、007 のテーマであるイントロが流れるとワクワクし、アストンマーチン
DB5 が走っているのを見るだけで幸せです。
いろいろと書きたいのはやまやまですが、そこに触れるとネタバレになってしまうので控えます。ダニエル・クレイグ、
かっこいいだけでなく、人間味も備えた一番のジェームズボンドでした。
10 月 20 日 東温アルプス(石墨の分れ〜白猪峠)
先日の上林峠〜井内峠につづき、今回は井内峠〜白猪峠をめざします。だがしかーし、国道 11 号から県道 210 号に入った
ところでイヤな看板が目に入ります。
なんと通行止め。井内峠の手前で橋の架け替え工事をしているため通ることができません。いくら考えても前進できないため、
さっさと頭を切り替え、石墨山に転進。そういやあ、去年も瓶が森に登ろうとして石墨山に転進したんでした。転進してばっかり。
今日は次のコースを歩くことに変更。
唐岬の滝→石墨の分れ→法師山→白猪峠→唐岬の滝
8:40 に登山口である唐岬の滝に到着。ここから石墨の分れまでは 2 回きているので勝手知ったるコースのはず。でも、
思ってた以上にきつくて、昨年はよく雨の中登ったなあと感心することしきり。90 分で石墨の分れに到着。
ここは急登のすえに開けた稜線にでるので爽快です。左折していたこれまでとは違い、今回はこの分岐を右折します。
ここから先は初めてのコース。正面に見えている法師山を目指します。
ここからは基本的に下りです。切り立った稜線を結構な傾斜でくだっていきます。30 分で法師山に到着するも、木々に
囲まれて見晴らしなし。
法師山からの先は大きな岩が突き出た斜面をトラバースしていきます。今まで以上に下る傾斜がきつく、ロープがはられて
いる箇所もある上、足元も斜めの斜面を歩くため気をつかいます。どなたかが笹を刈り払ってくださった跡があるものの、
それでも歩きやすいとはいえません。
斜度がゆるくなってきたあたりで、登ってくる登山者にあいました。東温アルプスで初めて出会う方です。先方も同じこと
言ってました。
この方、朝の 6 時に皿が嶺の登山口を出発し、終点の黒森峠まで 1 日で歩こうとする猛者でした。聞けば、事前に黒森峠に
自転車を置いてきたといいます。日帰りで東温アルプスを歩こうとするだけでもすごいのに、黒森峠から自転車で皿が嶺の
入口まで戻ろうなんて、どれだけ自分をいじめたら気がすむのでしょう。
私と同年輩か少し年下とお見受けしました。それでも既に 5 時間半も歩いていることから少々お疲れの様子。この先、
石墨の分れまではさらに厳しい上りが待っていることを考えると、人ごとながらぞっとします。
その方と別れてから数分で白猪峠に到着。スタートから約 3 時間です。
峠から 20m ほど登ったところでコース上の脇に座って昼食をとります。本日のメイン・イベントはこれから。なんでかというと、
これから歩く白猪峠から唐岬の滝の区間は地図に載っていないコースなんですね。
ネットの情報では、白猪峠から白猪登山口のコースの途中から分岐して唐岬の滝までぬけられることになっています。
でも、問題なく歩けたという方もいれば、途中の分岐で迷った方や、やぶこぎをしたという方もおり、情報が錯そうしています。
もし分岐が分からなかったり、迷うようなことがあったら、明るいうちに白猪登山口まで降りてしまい、そこからクルマの
置いてある唐岬の滝まで何とかして戻らなければなりません。
のんびりおにぎりを食べ終えた頃、分岐の下の方から誰かが登ってくる音がします。この先の道の状態を尋ねようと思い、
慌てて準備して立ち上がるも、どなたもきません。おかしいなあと思いながら峠から下に向かう道に入った瞬間、近くの
やぶで何かが逃げていく音がしました。
ワタクシ、これまで山中で鹿やタヌキと遭遇したことがあります。今回の音は鹿の走る音とは違いますけど、結構な重量感が
あります。おそらくイノシシでしょう。危ない危ない。鹿は逃げてくれますけど、イノシシは襲ってくることがありますから。
イノシシにおびえながらも歩くこと 30 分。唐岬の滝への分岐にでました。ちゃんと、分岐の案内があるじゃない。
少し安心します。
ここから先は、これまでよりもコースが荒れており、道標が一切なかったものの赤いテープをたよりに唐岬の滝に
着くことができました。
これで、東温アルプスの約 2/3 を歩いたことになります。分かったのは、結構きついわりに景色がよいわけでなく、
修行のようであること。モチベーション下がるなあ。残る 1 区間、どうする? 行く?
10 月 20 日 東温アルプス(上林峠⇔井内峠)
地図を見ながら検討した結果、次のように分割すればおおむね東温アルプスを縦走できることが分かりました(1 と 5 は
おおむね踏破済み)。
1 皿が嶺〜上林峠
2 上林峠〜井内峠
3 井内峠〜白猪峠
4 白猪峠〜石墨の分れ
5 石墨の分れ〜石墨山
まずは、2 の上林峠〜井内峠を歩くことにしました。具体的には次の区間を往復します。
上林峠→陣ケ森→1253mピーク→うなめご→井内峠
上林峠近くに車をとめ、8:45 に出発。晴れているものの雲がでてきたのが気になります。30 分強あるいたら最初のピーク
(陳ケ森)に到着です。この頃になると辺りは雲に覆われ視界がききません。次のピークに向けて進もうと踏み跡を
たどろうとすると、山頂からすぐのところでやぶの中にきえています。
やぶを少しだけかきわけてみたもののコースを示すテープは見当たりません。おかしいなあ、このコースは整備されている
はずなのに…。最初のピークでつまずいてしまいました。
曇ってくるし、コースはよくわからないしで、引き返そうかどうか迷っていると、サイトで見た「○○と××は稜線上のコースから
外れている」という一節を思い出しました。もしやと思い引き返してみると、戻ったすぐのところに次のピークへの分岐が
あるじゃないですか。危ない危ない。
出発してから 2 時間、最後のピーク(うなめご)に到着しました。ここまでのコース、急登はないものの細かな上り下りを
繰り返すのでけっこう消耗します。稜線とはいいながらコースの両脇が背の高い草や木に囲まれているため、見晴らしも
ほとんどききません。
あいかわらず曇っているし、この先の井内峠までは 200m 下るので、帰りは登り返さなければなりません。
あー、もう引き返しちゃおうかって思いながら、結局、井内峠に向かっちゃいました。何ででしょう。不思議です。
井内峠までの下りはロープが張られた箇所が何か所もある急坂でした。急坂が終わってもダラダラと上り下りは続きます。
出発から 3 時間、ようやく本日の目的地に到着です。
人気のない峠で証拠写真をとってさっさと引き返します。先ほどの急登箇所、ご丁寧に「元気坂」という名前がついています。
元気なんかでねーよ、とグチをいいながらひたすら登ります。登らないと帰れんからね。
元気坂を上りおえた頃から天気が快復してきました。後はいじめのような上り下りを歩くだけです。
もときた道を歩くこと 3 時間、14:30 に出発点に戻ることができました。今回、最初の陳ケ森付近でやぶこぎをしている
際に人の声を聞いたものの、それ以降、誰ともあいませんでした。東温アルプス、ひょっとして不人気コース?
10 月 20 日 東温アルプス
6 月に皿が嶺に登った後、インターネットで皿が嶺のことを漁っていたら、東温アルプスなるものを見つけました。東温アルプス
とは皿が嶺と石墨山を結んだ稜線上のルートのことです。石鎚山を知らない愛媛県民はいないでしょうけど、東温アルプスを
知っている県民はわずか。それくらいマイナーなルートです。東京でいったら、高尾山と陣馬山をむすぶルートを高尾アルプスと
いうようなもの。
手元にある石鎚山系連携事業協議会が発行している「石鎚山系ルートマップとグレーディング」という資料によると、
東温アルプスは総距離 17.6km、合計コースタイム 10.4 時間で、体力度レベルが4、一泊以上が適当となっています。
資料のコースタイムは歩くのに必要な時間のみと思われるので、食事や休憩を考えたら、マニア向けのサイトに記載されている
12 時間が妥当でしょう。体力度レベルが 2、3 の山しか登っていない私のようなオヤジには極めて厳しいコースです。
東温アルプス、健脚向けであるのに加え、アクセスが悪いのも難点です。皿が嶺にしろ石墨山にしろ公共交通機関で行ける
場所ではありません。なので、縦走する人は自動車 2 台で行って、あらかじめゴールの場所に 1 台置いておくか、自転車を
置いてからスタート地点まで戻る必要があります。
だが、しかーし、マニア向けのサイトをよくみているうちに、尺取虫方式でちょっとずつ登っていけば、体力の問題もアクセスの
問題もクリアできることに気がつきました。
K島、むかしからこういうインチキ臭い方式が得意です。オートバイで日本一周したときもいちどに回ったわけではなく、
東日本一周、西日本一周(太平洋側)、西日本一周(日本海側)を総称して日本一周とよんでいます。
東温アルプス、この方法なら登れるかも。
9 月 9 日 ワクチン接種
2 回目のワクチン接種をしました。2 回目の方が 1 回目より副反応が強く、特に若い人には顕著だと言われてます。
カミさんは 2 回目の接種をした翌朝、熱をはかったところ平熱でした。おかしいなあ、おかしいなあと騒いでいたものの、その後、
徐々に発熱。「あたしゃ、まだ若い」と喜んでいました。
かくいう私は、翌朝はかっても平熱で、昼になると下がる始末。発熱さえもしないくらい年とったっていうこと?
9 月 9 日 天の川
夏も終わりの八月末、大野ヶ原に天の川を見に行ってきました。大野ヶ原は愛媛県と高知県の県境にあるカルスト台地です。
着いた当初の空模様は、素晴らしい星空を期待させるものでしたが、徐々に雲がかかってきました。
誰だよ星を見に行こうなんて言ったのは。ああ俺か、すまない。
待つこと 1 時間半、もう諦めて帰ろうかと思った頃、わずかな時間だけ空が晴れわたり、満天の星と天の川を見ることができました。
ちなみに、帰る道すがら、通過する町々で空を見上げたところ、梼原町、西予市城川町、大洲市鹿野川でもそれなりにきれいな星が
見えました。なーんだ、うちから1時間も走ればきれいな星が見えるんだ。でもね、大野ヶ原のよいところは、空が360度開けていること。
満天の星を見るには、やっぱり大野ヶ原じゃないと。
また行きたいね。
9 月 9 日 風の谷のナウシカ(続き)
ナウシカが乗っているのがメーヴェという乗り物。ハンググライダーのようなものと言ったらわかるでしょうか。このメーヴェ、主人公を
のせて空を自由自在に飛び回ります。
エンジンを点火して加速していくシーンはジェット機のような動きをするものの、着陸時にフワリと降りる姿は現実の飛行機には
難しい動き。
このメーヴェ、実際に作って飛ばしちゃった人がいるから世の中おもしろい。そりゃ、アニメと同じような飛び方はできないけどね。
9 月 9 日 風の谷のナウシカ
愛媛国際映画祭の八幡浜会場で「風の谷のナウシカ」を見ました。ナウシカを見るのは三十数年ぶりです。最初に見たのは中学校の
視聴覚教室の小さなディスプレイだったので、いつか大きな画面で見たいと思っていました。スタジオジブリ作品は権利の関係上、
再上映が難しいそうで、今まで映画館で見られなかったのはそのせいかもしれません。
ナウシカの製作陣には監督:宮崎駿、プロデューサー:高畑勲、音楽:久石譲がいます。しかし、この作品を実際に製作したのは
トップクラフトという会社です。トップクラフトが発展解消する形でジブリが結成されたのは、その後の「天空の城ラピュタ」のとき。
それからジブリ作品が順次公開され、やがて公開すれば大ヒットするようになりました。それとともに、ストーリーもメッセージも難解に
なり、「もののけ姫」あたりになると、結局何の話だっけ?と思うことも。それに比べてナウシカのシンプルかつストレートなこと。
思っていた以上の冒険活劇でした。明るく、心優しく、強さも秘めているナウシカにも魅了されました。
この映画を初めてみたのは 1985 年ころ。大学のクラブの夏合宿の際、地元の中学生との交流会の名目で、岩手県の田野畑中学校
で中学生と一緒に見ました。当時の中学生も今や 40 代のおじさん、おばさんのはず。彼らの記憶に何か残ってるといいなあ。
8 月 9 日 五十崎散歩
五十崎という町に買い物に行ってきました。八幡浜の隣の隣にある町です。町内を小田川が流れており、地元の方が子どもと川遊びを
していたりして、ゆったりと時間が流れています。
素敵な神社や湧き立つ入道雲も見て、ちょっとした夏の旅行気分に浸れました。
8 月 9 日アメリカン・ユートピア
最近のマイブームは「アメリカン・ユートピア」という映画です。どれくらいはまっているかというと、2 週続けて同じ映画を見に行った
だけでなく、サントラの CD を買って毎日聞いています。
そもそも「アメリカン・ユートピア」とは何か? これはデイヴィッド・バーンが、2019 年 11 月〜 2020 年 2 月までブロードウェイで
上演した音楽ショーを映画化したものです。じゃあ、デイヴィッド・バーンとは誰か? この人は 1970 〜 80 年代に活躍した
「トーキングヘッズ」というアメリカのロックバンドのボーカル担当です。
私が「トーキングヘッズ」というバンドで知っているのは、20 代の頃に見た、肩パットがやたらに大きなスーツを着たデイヴィッド・バーン
が奇妙なダンスをしながら歌う姿くらい。バンドのイメージは、はすに構えた、ちょっとおしゃれなバンドというもので、当時もそれ以降も
興味がありませんでした。
じゃあなんで今回、そんなに興味を惹かれているのか?自分なりに分析してみると、ポイントは 5 つありそうです。
一つ目は楽しい音楽です。まず見ていて楽しいんです。デイヴィッド・バーンの他に 11 人のアーティストで構成されたバンドが
ひたすら歌い、楽器を弾き、ダンスを踊ります。歩きまわる際に邪魔になるマイク・スタンドやギターのケーブルは、ワイヤレス機材を
使用することで廃され、ドラムは、複数のパーカショニストが分担して担いでいます。つまり、ステージ上には楽器をもった
ミュージシャンしかおらず、それ以外、セットやアンプなど、余計な機材はありません。こうすることで、マーチングバンドのように
動き回ることが可能です。
その動きがまず楽しい。それに加えて目をひくのが、主にコーラスを担当している二人のダンサー。この男女の踊りがまた楽しい。
独特の振り付けといい、シンクロ具合といい、目を楽しませてくれます。見ていてまったく飽きません。ただ歩いているだけなのに、
なんであんなにリズム感を出せるんでしょう。
さらに驚くべきは、コーラスの美しさ。最初は 9 人のミュージシャンに 2 人のコーラス兼ダンサーだと思い込んでいたんですけど、
違うんですね。全員が歌っています。しかも、そのうまさがとてつもない。ショーの後半に登場するアカペラ曲は、音量、音の重なり
具合から考えて、全員が歌わないと出せない美しさ。ゴスペル・グループなみのうまさです。
二つ目は人間への興味です。デイヴィッド・バーンは「どんなに美しい景色の場所に行っても、私は景色よりそこにいる人間に興味が
ある」、「人間を観察することこそが面白い」と語ります。また、先に述べたバンド構成についても、ステージ上から余計なものを廃して
いった結果、人間とわずかな楽器だけが残ったと語ります。
人間こそが面白いって当たり前のことですけど、言葉でこれほど端的に述べたのを見ることは滅多にありません。振り返ってみると、
自分だって美しい景色は好きですけど、いくら美しくても景色は飽きます。それに対して、人は見ていても飽きませんから。
また、デイヴィッド・バーンは他人に対する興味だけではなく、自分自身についても変化しなければならないと言います。これも
ありきたりな言葉です。しかし、20 代のバーンではなく、世間的には老人の範疇に入るバーンが、変革による希望を語ると説得力が
あります。私なんか、まだ 59 歳ですけど、もう体や思考が硬直してきてますから。
三つ目はたゆまぬユーモアです。「アメリカン・ユートピア」には、明確なメッセージがいくつかあります。でもね、決して押しつけ
がましくも、悲壮感もありません。デイヴィッド・バーンは、自虐ネタをかまして笑いをとりながら、歌にのせてたんたんとメッセージを
伝えます。
これって難しいことです。説明がすぎると説教臭くなりますし、上から目線ですと観客は反発します。それを、歌ったり踊ったりすることで
興味を引き付け、時には笑わせながら、最終的にはショー全体をとおして、自分の伝えたいメッセージを的確に伝えるんですから。
実にスマートです。観客には、ああ楽しかったという思いだけでなく、メッセージも残ります。
四つ目は希望を感じることです。今回の映画は「アメリカン・ユートピア」というショーを撮影したものですけれど、ショーの元になった
のは 2018 年に発表された同名のアルバムです。このアルバム、タイトルから現状に対する皮肉と解釈されることもあったようです。
でも、ショーを見る限り、皮肉ではなく、アメリカの現状をそのままとらえ、それでもなおかつユートピアにできるんだという意志を
感じます。そりゃあショーですから、ラストに向かって盛り上がるように構成しているんでしょうけど、ショーが終わったときに感じるのは
希望です。
五つ目はデイヴィッド・バーンの一貫性です。デイヴィッド・バーンが音楽ライブを映画化するのはこれが初めてではありません。
若いころに、「ストップ・メイキング・センス」という作品を作っており、それ以外にも試行錯誤してきたようです。ファンでもない私から
見ると、「アメリカン・ユートピア」は唐突に出現した印象があります。でも、デイヴィッド・バーンからすると、昔からやってきたことの
延長線上にすぎないのでしょう。驚くのは、67 歳になっても、まだ新しいことにチャレンジしつつ、なおかつ、自分史上最高のステージ
を実現していることです。
昔、ヒットした曲を懐メロよろしく演奏しているバンドや歌手が多い中、過去を否定することなく取り込んで、さらに進化したステージを
見せている姿には圧倒されます。
私は観客だからこうやって無責任に感想を書き散らかすだけですみます。でも、ミュージシャンだったとしたら、途方にくれるでしょう。
まあ、ダラダラと書いてきましたけど、これだけの分量を書きたくなるくらい刺激を受けたってことです。
「アメリカン・ユートピア」、機会がありましたらご覧になることを強くお勧めします。
8 月 9 日 バイク復活
バイク、ようやく直りました。バイク屋さんはキャブを疑ってオーバーホールしたものの、エンジンかからず。そこで、次は CDI という
電装部品を疑って交換することになりました。しかし、CDI は既に新品では手にはいりません。1983 年製のバイクですから当然です。
そんなわけで、オークションで中古パーツを探すことに。これなら私でもできるので、自分で探すことにしました。まあ、あるわあるわ。
有象無象の中古パーツが出品されています。機能するかどうか一言も触れていないものから、「実動車から取り外し」だの
「動作確認済み」のものまで値段も千差万別です。
電装部品なんて外観からは機能するかどうか分かりません。一つだと心もとないので、神戸と京都のショップから一つずつ落札して
みました。結果は神戸のものは×、京都のものが〇でした。
CDI を交換することで、エンジンがかかってしばらくすると停止するという症状はなくなりました。修理完了まで約二か月と時間は
かかったものの、中古部品の探し方も覚えましたし、バイクも復活したので満足です。
8 月 9 日 虹
梅雨のあける前日に大洲で見た虹です。こんなにきれいな半円状の虹はみたことがありません。
これより数分前は山の一部に陽の光があたって、幻想的でした。数分後には色が薄くなり、虹が部分的に途切れてしまいました。
いいものを見ました。
7 月 12 日 ワクチン接種
ワクチン接種はもうお済みですか? ウチは義母が八幡浜で 2 回目の接種完了、子どもは大学で接種が開始され、7月、8月に
接種予定です。後期は対面授業が再開されるかも。期待が高まります。
残るは私とカミさんだけ。7 月に入ってようやく接種券が届きました。予約してみたところ、1 回目が 8 月、2 回目が 9 月です。
効き目がでるのは 9 月末ってところですね。
7 月 12 日 バイク故障中
現在、バイクが絶賛故障中です。5 月末に乗ろうとして暖気運転後、走り出した直後にボボボとエンジンが止まってしまいました。
ガス欠のような止まり方ではなく、突然火花が飛ばなくなったような止まり方です。翌週もエンジンはかかったもののすぐに止まって
しまい、それ以降は一切かかりません。
バイク屋さんにとりにきてもらってはや一か月。まだ治りません。簡単に治りそうもないことはうすうす感づいていたものの、他の
修理に追いやられて後回しにされているのが一番の原因かも。
バイク屋さん、人はよさそうですけど、修理の依頼があるとなんでも引き受けちゃうようです。それに見ていると、古いマニアックな
バイクも入庫しているので、そりゃ順番が回ってこないはず。
直らなかったらどうしましょう。16 歳から 43 年間、バイクがなかったことは一回もありません。バイクを降りるにはまだ早い年齢です。
先日、カミさんにいつまで乗るのかと質問され、つい「70 歳くらいかなあ」と答えてしまいました。70 歳といえばだいぶ先のことだと
おもっていたら、あと 11 年しかないじゃありませんか。
そう考えると、直らなかった場合の買い替えも検討しなきゃなりません。
私にとって逆風なのは、子どもが大学に入学して学費がかかること、および中古バイクの値段が高騰していることです。後者はどういう
理由か分からないものの高騰しています。コロナ禍の中、人と接触が少ない娯楽ということでバイクに乗る人が増えたのか、はたまた、
かつて憧れたバイクをオヤジ買いしている人が多いのか。次のバイクなんて買えないじゃんという値段ばかり。
CB400F、CBX400F、Z2 など人気のあるバイクは当然として、ウチの CBX250RS のような不人気車でも一頃より相場価格が
上がっています。
ピーンチ! どうか CBX250RS が治りますように。
7 月 12 日 皿が嶺
愛媛では 5 月 15 日に梅雨に入りました。例年よりも 2 週間以上早く、記録をとり始めてから初めての記録だそうです。梅雨の期間が
ながければ雨量も多いのではと心配したものの杞憂でした。幸い、晴れたり曇ったりする日も多く、思ったほど雨量は多くありません。
そんな梅雨の中休みがあったため、松山にほど近い皿が嶺に登ってきました。
標高 1271m の皿が嶺は石鎚山系の西に位置する山です。松山から近いことから、松山の方にはなじみの山です。松山市出身の
義母も小学生のときに遠足で登ったといいます。東京でいったら、高尾山の位置づけかな。標高は大分違います。
石鎚山系はどこに登るにしろ八幡浜から遠く、家から登山口まで 2 時間半以上かかります。その点、久万高原町から登る皿が嶺は
1 時間くらいはやく着きます。今回も 7 時 40 分には登り始めることができました。
早朝だったこともあり、足元の草には朝露がついています。こんなこともあろうかと、今回はスパッツを持参しました。昨年の石墨山
での失敗から学習しましたよ。
始めこそ針葉樹林帯でしたけど、尾根道に出たあたりから広葉樹林帯をゆるゆると上がっていきます。林の中は風とおしもよく、
ハルゼミの鳴き声も聞こえ、快適快適。
山頂直下の十文字峠のあたりはこんな景色。遠くに瀬戸内海が見えます。見晴らしはいいのですが、大規模伐採が行われており
殺伐としています。
10 分もしたら山頂です。まだ 10 時前。山頂周辺は木が生い茂っており見晴らしがよくありません。
見晴らしという点じゃあ、山頂から竜神平に降りる途中の方がよいかも。こちらからは石鎚山が遠くに見えました。
山頂につくまでは誰とも出会わなかったのに、それ以降は多くの登山者とすれ違いました。さすがに愛媛でポピュラーな山だけ
あります。
当初は往路を単純に戻ろうと思ってました。でも、時間も早いしまだ元気もあるので、少し回り道して帰ることにしました。
思惑:皿が嶺山頂 → 竜神平 → 十文字峠 → 久万スキー場
実際:皿が嶺山頂 → 竜神平 → 竜神平一周 → 風穴 → 久万スキー場
考えはよかったものの、想定していた標識が龍神平になかったことから余計に歩くことになり、疲れました。特に、風穴に行くコースから
久万スキー場の方に戻る坂。尾根までの直登は今回で一番の急登だったため、心臓がバクバクしましたよ。
今回、余計に歩いたことが幸いして、皿が嶺のコースがよく分かりました。コースのバリエーションが多く、昨年秋に登った石墨山
まで縦走もできるそうです。
今後はいろいろな季節にさまざまなコースを試してみることにしましょう。
スパッツについては、今回のような草むらがひざ下となるコースはよいとして、ひざ上となるコースでは効果なさそうなことが判明。
やっぱり、長めのスパッツを買っておけばよかったんだよな。ああ残念。
6 月 7 日 はちく
今年もタケノコの勢いはとどまるところを知りません。それでも、伐採した累計本数が 80 本を超えた 5 月後半あたりから勢いが弱く
なってきました。昨年は約 90 本伐採して終わったので、今年も終わりに近づいているのでしょう。そのかわりに出てきたのがこちら、
「はちく」です。
「はちく」って「破竹の勢い」のあれでしょって思ったあなた。それじゃ私と同じ知識レベルですよ。「淡竹」とかいて「はちく」と呼びます。
「破竹」は「竹を割ること」をさすのに対し、こちらの「はちく」は竹の種類をさします。いつも切っているタケノコは孟宗竹。
それに対してこちらは淡竹です。お年寄りに教えてもらいました。
タケノコは小さいうちなら両手でつかんでゆすると折れることがあります。それに対して「はちく」は細いので、片手でつかんでゆすれば
パキッと折れます。軽いので持ち運びも簡単。
先日、テレビで見た秋田の姫竹も外見は似ています。でも名前が違うし地域も違うので別ものなのでしょう。あちらは有名なのに対して、
こちらは有名じゃありません。
食べられるそうなので、早速、試してみました。
新鮮なものはアク抜きの必要がないというネットの情報を信じてゆでたところ、確かにアクはありません。タケノコよりも繊細な
食感が楽しいこと。
来年は「淡竹」にも注意することにしましょう。
5 月 21 日 ロクでもない男
親しかった親戚の女の子が彼氏を紹介してくれるというので、会ってみたら都会のロクでもない男だった。でも女の子は夢中になって
いるので、親戚のおじさんの忠告なんて聞く耳を持たない。何だかそんな心境です。皇室の話じゃないですよ。
かれこれ 30 年以上もおつきあいのある自営業の方がいます。最近、この方から「賛同者として名前を貸して欲しい」と言われ、とある
団体の設立趣意書案を見せられました。前半の設立趣意まではよかったのですけど、後半の運営方法になるといけません。
その方は地方で地道に事業をしてきたので、地元には熱心なファンがついています。でも、東京のコンサルタントが作成した案によると
著名な学者や有名人の名をかりていかに商品に箔をつけ、高く売るかに重点がおかれているように見えます。
はっきり言うと、事務局を運営するコンサルタントにメリットはあっても、その方にとってはデメリットの方が大きいように感じます。
何もそんなことしなくても、十分に知名度あるのになあ。まあ、これは私の主観ですけど。
おじさんとしては、「そいつと一緒になるとひどい目に遭うから別れなきゃだめだ」と言いたいところです。しかし、女の子からすると、
私は数多くいる親戚の単なる一人にすぎず、気まずくなったところで痛くも痒くもありません。
現実の話に戻ると、その方は私よりも年長で社会的名声もあります。年少の私には地位も名誉もありません。唯一のつながりは、
その方が苦労していた創業当初からのおつきあいということだけ。なので、忠告するのは僭越です。
設立趣意書案が完成しており、私のような一般ピープルに賛同者として名前を貸してほしいといってくるくらいですから、もう後戻り
できないところまできているのでしょう。
晩節を汚すことになるんじゃないかと、その方のことが心配です。
ちなみに名前貸しの件は、賛同できない点を正直に伝えてご辞退させていただきました。絶交されちゃうかも。
5 月 21 日 寂しいけど必要な別れ
結局、息子は志望する国立大学に合格し、進学することになりました。引越を終えすでに学生生活を始めています。残念ながら、
コロナの感染が拡大したため入学式は延期です。
子どもが家を離れてしばらくはショックのあまりモノクロームの生活が続き、最近、ようやくカラーに戻ってきました(大瀧詠一の歌かよ!)。
家を離れるのは自明のことだったのに、いざそのときがきたらうろたえるものです。18 年間一緒にくらしていたのに、ある日を境に
いなくなっちゃうんですから。もはや、子どもの部屋から物音が聞こえてくることも、玄関から「ただいまー」の声が聞こえることも
ありません。
分かってはいたんですけど、3 月中は入学手続、下宿探し、引越の準備に忙殺され、心の準備をする余裕がありませんでした。
同年輩の子をもつ知人の年賀状には「田舎暮らしは子どもが 18 歳でいなくなると今さら気づきました」とあります。まさにそのとおり。
いなくなったのはウチの子だけじゃありません。同級生たちもそろって八幡浜からいなくなりました。
そういう点では都会で生活している親御さんがうらやましい。大学に進学しても、自宅から通学するだけですから。でも、それはそれで
いいことばかりじゃありません。大学生となった息子の自堕落な生活を目の当たりにしなきゃいけないとか、学校を卒業しても子どもが
なかなか独立しないとかね。
それにしても、高校 3 年生は友達との別れもあっという間です。2 月上旬から私立の受験が始まるので、学校で出会う機会がへります。
それに加え、コロナ禍のため受験から帰ったら通学もひかえなければなりません。そうこうしているうちに、3 月 1 日には卒業式。
3 月上旬に国公立の合格発表が終わってからは入学手続、下宿探し、引越準備に忙殺され、友達と遊んでいる暇なんか
ありません。それに加えて、3 密をさけるためにおおぜいで集まること自体が禁止されてましたから。
浪人もせずに現役合格したのはめでたい話です。めでたいはずなのに、カミさんと二人きりで「今、何してるんだろーね」とか話していると
しんみりしちゃいます。
なれるにはもう少し時間がかかりそうです。
5 月 21 日 低空飛行(続報)
少し前ですけど、愛媛新聞で 3/21、22 と 2 日間にわたって低空飛行に関する特集がありました。さすが地元紙です。私がとっている
全国紙は地方版が貧弱で、こんな記事がのることはありません。関係のない関西中心の記事ばかり。
この記事によると、低空飛行の目撃情報が急増するようになったのは 2019 年からといっており、実感とあっています。取材班が
目撃情報を地図に落とし込んだものをみると、大洲市を交点とした十字状の飛行ルートがあることが分かります。八幡浜市の
上空を通過する飛行機も大洲に向かうのか、大洲から飛んでくるのでしょう。
驚いたことは、飛んでいる機体が東京の横田基地所属の C130 という輸送機だったことです。すべてではないでしょうけど、画像から
防衛省が判断したということなので間違いありません。私はてっきり岩国基地所属の飛行機がローカルに訓練しているとばかり思って
いました。しかし、実際には横田から岩国に飛来して行う広域的な訓練のようです。
こちらは、横田基地でとった C130。子どもの頃から見なれた機体です。横田の C130 と愛媛で再会なんて喜んでいる場合じゃ
ありません。四発の C130 が低空で飛来したらそりゃうるさいはず。
愛媛県は目撃情報を収集して、取りまとめたうえ、国へ情報提供し、「県民の不安等の内容をしっかりと米側に伝え、県民の方々が
不安を抱くような飛行の中止を申し入れるなど、実効ある対応を行うよう、国に対して要請しております」といっています。
地道に目撃情報を記録することにしましょう。
3 月 14 日 空港ピアノ
NHK BS で放映している「駅ピアノ」、「空港ピアノ」、面白いですね。欠かさず見ています。番組の影響を受けて、日本各地で駅や
空港以外の商業施設にもピアノを置くところがでてきています。愛媛では、隣の大洲市のショッピングセンターにもピアノが置かれ
ました。
実際の撮影風景はどんな様子なんでしょう。先日、空港で NHK の収録場面を目撃したので、様子をご紹介します。
撮影風景はこんな具合。ピアノに設置したカメラ以外にスタッフ(2 名?)がハンディカムで撮影しています。それ以外にも、携帯で
撮影している一般人が。
ちょっと引いてみるとこんな具合。椅子に座って聞いている方もいます。
さらには、空港内にこんな貼り紙が。
「NHK BS1 で放送の「空港ピアノ」の撮影をここ ターミナル 1 階にて行っております。どうぞご自由にお弾き下さい。」
「ご自由に」って言われてもねえ。これだけ見られていると気軽に弾けるような雰囲気じゃないってことです。一生の記念だからと、
ウチの子に弾かせようとしましたけど、弾きませんでしたから。無理ないか。
3 月 14 日 コロナ?
防護服を着た検査員がクルマの窓越しに綿棒を鼻に突っ込む、そう、コロナの検査でおなじみの光景です。まさか間近で見ることが
できるとは思いませんでした。しかも、検査対象は自分の家族です。
東京での私大受験を終えた息子、帰ってきて 5 日目の月曜日に微熱を出し、下痢をしました。3 日後の木曜日には国立大の前期試験が
ひかえているのにです。遅くとも水曜日には試験地にいなければなりません。
このコロナ禍、東京から帰って微熱と下痢というのは穏やかじゃありません。万が一、コロナにかかっていたら受験もできませんし、
公共交通機関を使っての移動自体、アウトです。まずいことに火曜日は祝日で病院が休みのため、受験するかどうかは月曜日中に
判断しなければなりません。
結論から言うと、コロナではなくウィルス性胃腸炎だったので、無事に受験することができました。受験可否を判断できたのは、ひとえに
診断してくださったお医者さんのおかげです。
こちらの病院、コロナの診断をしてくださるということで愛媛県の受診相談センターに紹介していただきました。地元の病院ではないため、
息子は初診です。それにも関わらず、大変親切に対応してくださいました。
抗原検査をして陽性か陰性かをはっきりしてくださっただけでもありがたかったのに、受験生という事情を汲んで点滴してくださったり、
移動中や試験中のことを考えて熱さまし、下痢止めなどの薬も出してくださいました。その上、熱が下がらず空港の検査でひっかかる
ようなことがあったら私に電話をください、説明しますからとまで言ってくださったのです(初診の患者にですよ)。
地獄に仏とはこのことです。
おかげで火曜日には熱が下がり、水曜日に移動して木曜日に試験を受けることができました。
本来なら病院名を書きたいところです。でも、受診相談センターのサイトで病院名を公表していないのは、おそらく風評被害を避ける
ためでしょう。なので、書けません。
先生のところには、無事に受験できたことのご報告をかねてご挨拶に伺いましたので、それでよしとしましょう。
無事に受験できてよかった。
2 月 23 日 受験は続くよどこまでも
イヤイヤもう 2 月も中旬、菜の花が盛りです。私立大学の受験は終わり、後は国公立の受験を残すばかり。
出願した 5 つの私立大学の 7 学部、2 つの国立大学の 2 学部のうち、結果が分かっているのは私立大学のみ。国立は 2/25、26 に
東北で前期試験、3/12 に東京で後期試験を受けます。
私立大学の結果は不戦敗 2 学部、合格 3 学部、結果待ち 2 学部です。浪人せずに大学進学できることは決まりましたけど、どこに
行くかはまだまだ決まりません。
それにしても、コロナ禍や地震など天変地異の影響でハラハラドキドキの連続です。概要はこんな具合。
1/xx ANA より東北行き予約便欠航の連絡のため、予約変更(中継地を変更)。
1/xx ANA より東北行き予約便欠航の連絡のため、予約変更(時刻を変更)。
1/26 ANA より東京行き予約便欠航の連絡のため、予約キャンセル。
2/6 ANA より東北からの予約便欠航の連絡のため、予約変更(日程を変更)。
2/xx ANA より東北行き予約便欠航の連絡のため、予約取り直し(乗り継ぎを諦め、東京から東北新幹線を使うように変更)
2/6-2/9 東京での私立大学 2 校の受験を断念。
2/13 東北で M7.3 の地震発生。東北新幹線の那須塩原から先が不通に。
2/15 東北新幹線不通のため、再度、ANA で乗り継ぎ便を予約。発着時刻の関係から受験前後で余計に 2 泊必要に。
2/15-17 東京で私立大学 1 校を受験。
2/17 東京からの帰り道、雪のため松山空港に出迎えできず。
私立大学 2 校の受験を断念というのは、東京に行く感染リスク、その大学に対する優先度を考えて断念したということです。その分の
時間は、残りの私立、国立大学の受験勉強に充てられるというワケ。
ANA の欠航というのは、コロナのせいで客足が減っている ANA が大胆に便数を減らしていることを指しています。松山〜東京間でも
1 日に 6 便あったのが 3 便に減っているため、他の便は推して知るべし。松山〜東北の都市なんて 1 日に 5 便あった乗り継ぎ便が
1 便になっています。減便は 2 月に入っても続いているのでたまったもんじゃありません。
それに「変更」と書いてますけど、キャンセル料を払ってキャンセルし、再度、取り直したことや、前泊・後泊がさらに必要になったことも
あります。手間だけじゃなく余計な費用もかかるので大変。
あまりにも減便が続くので、東京から先は東北新幹線を使うことにしたら、今度は地震で東北新幹線が不通に。まるで、国立大の
受験を阻むかのような事態の連続。
あと、数日で国立の前期試験が始まります。だが、ここにきて、東京から帰って 5 日の息子に微熱と下痢の症状が…。
ピーンチ!はたして無事に受験できるのでしょうか。
2 月 23 日 ああノーマルタイヤ
大雪がふると大渋滞発生のニュースをよく目にします。自分も危うく巻き込まれるところでした。
2 月 17 日、東京に受験に行っていたカミさんと子どもが帰ってくるというので松山空港に迎えに行くことに。折しも全国的に大寒波が
きており、愛媛の天気予報でも雪ダルマが表示されています。
夕方の便というので、道路交通情報をチェックしたのち、大洲インターチェンジから松山道路に入ろうとしたら、ナント通行止め。
しかたないので、国道 56 号で松山に向かいます。国道 56 号、途中に峠があり難所です。でも、ウチのゴルフは昨年 2 月に
スタッドレスタイヤを交換しているため、心配ありません。
大洲で舞い始めた雪は内子を過ぎる頃には本格的に降ってきました。道路は一面真っ白ですけど、タイヤの通った後は黒く濡れて
います。5 分も走ると雪が横殴りに吹き付け、前が見えなくなることもありました。対向車線では軽トラが路肩に突っ込んで止まって
います。この頃になると、道路一面に雪が積もり、タイヤの通る箇所がわだちになっています。もう少しすると、渋滞が始まりました。
見ると、対向車線でハイエースが横転しており、警察官が交通整理しています。
さらに渋滞でゆっくり進んでいくと、だいぶ先に止まっていたトラックが急にハザードを付けだして止まったきりになります。なんと、
退避もせずに路上でチェーンを付けだしたのでした。それを後続車がノロノロ追い抜いていきます。
また停車し、車列が再度動きはじめたところ、3 台前の軽自動車がスーっとガードレールの方向に横滑りするのが見えました。
アチャー、ノーマルタイヤで横滑りしてます。さらに、その前のハイエース、アクセルをふかせばふかすほど車体が右に回転して
しまい、対向車線にはみ出してしまっています。
急遽、周りのドライバーが降りて、対向車線側の空き地に押し込みます。とりあえず、こうしないと後続車が前に行けませんからね。
そこからノロノロ進むものの、自分の車線はずっと先まで車が並んでいる一方、対向車は滅多に走ってきません。
この道は何度も走っているので、難所の峠まで順調に走っても 30 分以上かかることが分かっています。でも、今はその行程の
初めの方で渋滞にはまっており、しかも中にノーマル・タイヤの車が混じっているのは見たとおりです。
ああ、こうやって大渋滞にはまっていくんだなと実感しましたね。このペースでは飛行機の時間に間に合わないどころか、いつに
なったら峠を越えられるのか分かりません。しばし考え、U ターンすることにしました。カミさんと子どもには松山で泊まってもらい、
明日迎えに行くことにしましょう。
そう思ってカミさんに連絡したところ、汽車が動いているとのこと。結局、カミさんと子どもはその日のうちに汽車で帰ってきました。
八幡浜駅に迎えに行く最中の景色はこんなカンジです。
後日、新聞を見たところ、チェーンを持たないトラックがあの先で立ち往生して通行止めになり、4 時間半も渋滞していたそうです。
無事に戻れてよかった。
1 月 31 日 コロナ禍の受験
コロナの影響は受験にも及んでいます。例えばこんなところにも。
共通テストの際、うちの子とその友人は夕飯をゆっくりとることができませんでした。試験が終わったのは 18 時 10 分。それから
密にならないよう、時間差で退室するよう指示があり、ようやく試験会場から出て食堂に入ったのが 19 時すぎ。
その時点でラストオーダーだったそうです。
愛媛県は緊急事態宣言の対象にはなっていません。でも、感染者数が増加しているため、県の対策として酒を提供する飲食店の
営業は 20 時までになっています。そのため、入店してすぐにラストオーダーになっちゃうわけです。試験が終わった後にゆっくり
ご飯も食べられないなんてねえ。
次は飛行機の予約キャンセルです。私大試験のため東京行きの飛行機を予約していたところ、航空会社から機材変更の連絡が
あったため予約を変更。そうしたら、今度は減便によるキャンセルのお願いがきました。試験が終わったら空港に直行して帰る
予定でしたけど、最終便がキャンセルになったためもう一泊する羽目に。お金も余計にかかります。
コロナ禍じゃ受験地へ行って帰るだけでも一苦労。
2 月の私大受験、無事に帰ってこれるのかなあ。
1 月 31 日 共通テスト
1 月 16、17 日、ついに我が子の共通テスト受験がやってきました。コロナ禍での受験、しかも、センター試験に変わって初めて施行
される共通テスト。なんでコロナや初試験と重なるかなあ。
受験会場に指定されたのは松山にある愛媛大学城北キャンパス。悪天候や交通機関の遅延などを考えると家から通うのはリスクが
あるため、子ども一人でホテルに 2 泊させることにしました。
前日の夕方、子どもを市内のホテルまで送り届け、後は見守るばかり。
試験初日、朝が弱いことが懸念されていたものの、朝 7 時には起きていることを電話で確認。おお、やればできる子なんて
安心したのもつかの間、ホテルを出たという連絡がいつまでたってもきません。あれほど念を押したのに。
試験会場の入場期限である 9 時 5 分になるまで携帯に電話したりメールしたりするもつながらず。二度寝しちゃったのかもと、
悪い方に想像が膨らみます。かみさんは不機嫌になって私に八つ当たりするし、散々です。
オレのせい?
昼になっても、試験が終わった 18 時すぎになっても連絡がつきません。
結局、連絡がついたのは 21 時すぎてから。
「ゴメーン、ホテルに携帯忘れちゃった」ですって。バカモーン!
いやいや、自分が共通一次試験を受けたとき以上にドキドキしました。