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日々雑感(2003)

2003年の日々の雑感です。最上段が最新のものです (更新が遅れたため、12月15日、12月20日分は
2004年になってから遡って追加しています。)

2003年12月20日 引越ました。

12月20日に引越しました。利用する駅は一つ西になります。もともと引越しの予定はなかったの
ですが、カミさんから強い要望を受け、引越しました。

要望が出たのが5月頃、新居が決まったのが11月、引越したのが12月です。新居が決まってから
引越しまでの期間が短くて12月は慌しいことこの上ありませんでした。おまけに年末は引越し後の
後片付けでノンビリできず、昨年後半から今年の初めまでは引越し騒ぎで慌しく過ぎてしまいました。

私が大事にしているオートバイ、クルマの保管場所は引越しにより悪化しました。バイクは自転車置き場
に置いていたのが野ざらし、地下駐車場に置いていたクルマも野ざらしになりました。
保管場所が悪化したのはオートバイ・クルマにとってマイナスですが、オートバイについては未だ所有
できているだけでも良しとせねばなりません。というのも、オートバイが置けることを条件に新居探しを
したところ、新居探しが難航したためです。東京で大家さん、不動産屋の合意を得てオートバイを置くのが
いかに難しいか痛感しました。
オートバイ、クルマにとっては辛い引越しかもしれませんが、日当りが良く、部屋が少し広くなったので、
家族にとってはプラスだと思っています。
2003年12月15日 悲しい知らせ

坂庭省悟さんが亡くなりました。享年53歳、死因はガンです。朝刊の訃報欄を見て名前があったので
驚きました。驚いたというよりやっぱりそうだったかという気持ちです。
今年(2003年)6月に城田じゅんじさんとのコンサートを見に行った際、体調不良で出演しなかった
ときから、ガンでなければいいなあと思っていました。
カミさんもずっとファンだったので、二人して悲しみに浸っています。あの歌声、あの漫談のような喋りが
聞けないと思うとやりきれません。

昨年の秋に栃木県の今市で行われたコンサートが生身の省悟さんを見た最後となりました。その後、
今年の6月に東京で開かれた2人のライブに子供を連れて行ったのですが、歯痛との理由から城田さん
一人のライブでした。

始めて省悟さんを見たのは16歳の時です。NHKのテレビファソラシドという番組にナターシャ・セブンの
一員として出演していました。それ以来、ナターシャセブンのファンとなり、もう25年も聞きつづけています。
浅草公会堂の年忘れコンサート、西武球場でのイベント、立教大学でのクリスマスコンサート、
秩父でのライブ、岐阜でのライブ、今市でのライブと、色々聞きに行きました。

私はナターシャ・セブンのファンとしては遅いほうで、私が大学に入学したあたりからナターシャ・セブンは
おかしくなっていきました。受験の年に発生したホテルニュージャパンの火災でプロデユーサーの
榊原詩朗さんが亡くなったのが原因です。

ですから、実際に見たナターシャセブンのコンサートはそれほど多い方ではないかもしれません。いつの
間にやらナターシャセブンが解散してしまったためです。それでも、107ソングブックシリーズのLPを
1枚1枚買い集め、毎日のように聞いていました。

省悟さん、じゅんじさんはどうしているだろうとずっと気にしていましたが、私が30歳の頃から二人はソロ、
もしくは一人でライブをやるようになりました。新宿のビプランシアターに城田さんのライブを見に行った際は
嬉しくてしょうがありませんでした。それ以降、ライブの回数は増え、年に1回はコンスタントにライブが
見れるようになりました。更に嬉しいことにナターシャセブンが季節限定ではありますが、復活しました。
日本教育会館に聞きに行った際のことは忘れません。3人が一本のマイクを囲み、オールドタイミーの
フォークをメドレーで歌った時は鳥肌が立ちました。ブルーグラスや、うまいギターがナターシャの魅力と
考えていたものの、ナターシャセブンの良さは実はハーモニーにあったことに気づきました。

その後、さらに嬉しいことに阿佐ヶ谷のバルトにめぐり合います。バルトのマスターはナターシャファンです。
こちらで省悟さんのソロライブがあると聞き、カミさんと二人で行きました。2時間ほどのライブが終わった
あと、省悟さんを交えた飲み会の始まりです。周りは省悟さんのファンだらけ、誰かが歌えば、皆が唱和し、
同じテーブルの反対には省悟さんが座ってギターを弾いている。
夢のような世界です。ナターシャ・セブンの説明をする必要もなく、曲名も言う必要がなく、曲が流れれば
皆が自然に歌いだす、ディープなファンの場でした。こんな場は生まれて初めてです。ここはある意味で
天国でした。ライブになると、終電が遅くまであるのをいいことに最後まで店にいました。

カミさんが妊娠している間と、子供が出てきてからはライブに行けませんでしたが、今年の6月に、なんとか
行くことができました。子供が少し大きくなったら、省悟さん、じゅんじさん、ナターシャ・セブンの音楽を
生で聞かせてあげようと思っていたのに、その夢もかないません。

考えてみたら、もの心がついた16歳からずっと同じグループのメンバーが奏でる音楽を聞くことができた
のは幸せなことです。このことは常に感謝していたものの、こんなに早く終わりが来るとは思っていません
でした。20歳台の半ばにナターシャ・セブンが空中分解した時もグループは解散してもメンバーがいつか
ソロで行うことを期待して、実際そうなりました。しかし、今回ばかりはそうもいきません。

この悲しみから抜けるには暫く時間がかかりそうです。


ナターシャ・セブンについては、こちらもご覧ください。
2003年8月12日

カミさんの実家の愛媛に里帰りしました。その時に感じた航空会社の対応の差について書きます。

先週末はちょうど台風10号が来ていました。木曜日に沖縄まで来ており、金曜日には九州を縦断しそうな
勢いでした。西から進んでくる台風と、東から向かう私達とどちらが早く愛媛に着くか競争のような状況でした。
移動当日の金曜日は、飛行機は欠航するものと諦めモードのカミさんを急かして空港に急ぎます。
全日空の羽田−松山便は早くも欠航のマークがついていますが、私達が乗る日航機は搭乗手続き中
となっています。「松山空港の状況によっては東京に引き返すこともありうる」との条件付きではありますが、
「ヤレありがたや」と小躍りして乗り込みます。カミさんと小声で「クルーが水杯を交わしていた」、「機長が鉢巻を
巻いていた」だの「日航は日の丸を背負った意地がある」などとアホらしい話をしながら無事に到着することを
願います。
台風の接近する中を飛行機に乗るのは初めてなので、どんなに揺れることかと心配しました。流石に
紀州半島を過ぎるあたりからはあたり一面雲の中という様子でしたが、それでも心配するほどの揺れは無く、
上空で待機することもなく、あっけなく松山空港に着陸しました。松山空港は雨、風ともに大騒ぎするほどの状況
ではありませんでした。しかし、これを最後に次の到着便から欠航となりました。

さて、気になるのは全日空と日航の差、ナゼ全日空は早々に欠航を決め、日航は果敢に飛んだのか、です。
機長の言葉によれば着陸をするには横風が規定値以内であることが条件とのことでした。しかし私達の便は
着陸していますので、横風は規定値以内であったことになります。これをもとに考えてみると、全日空が早めに
欠航を決めたのは次の理由ではないかと推測します。

  1 空港が定める規定以外に全日空の内規があり、この条件を満たさないと着陸できない。
  2 現地まで飛んで着陸できない場合、往復の燃料費が無駄になるので、費用対効果を考えて
    飛ばさない。

何となく、全日空の方が日航よりコスト感覚が厳しそうなので2ではないかと思っていますが、ホントウの
理由は分りません。何をもとに各社が判断をしているかは興味があるところです。いずれにせよ、航空各社は
どこも同じで差など無いのではないかと考えていましたが、実際には欠航についての考え方にも差があることが
分りました。
私としては限られた休みを有効に使うためには飛行機が予定通り飛んでくれることが必須です。従って、今後
も天候が悪くなりそうな場合はしぶとく飛んでくれる日航を選ぶでしょう。しかし、よく考えたら、ここ20年位の間に
印象に残る航空機事故は日航機ですので、何か関係があるのでしょうか。あったら怖いなあ。
2003年7月12日

「ナローポルシェの憂鬱」吉村明彦著 双葉社刊 を読みました。朝日新聞の書評欄に珍しくクルマの本が取り上げ
られていたので興味を持ったためです。著者は文筆家の
ため、やはり一般のクルマ好きが書いたものとは表現力に格段の
差があるように
感じました。ポルシェのどこが、乗りにくく、その乗りにくさを克服していく課程に多くのポルシェ乗りがひかれて
いることが、表現力豊かな文章から伝わってきました。
これなら本棚に残しておいてもいいなあと思わせる内容です。
ちなみにうちの本棚は
あまり大きくないので、一定期間を過ぎると見直しが入り、陳腐化した本や、浅薄な本は処分
されていきます。従って、現在本棚に残っているのは、何回もの見直しを
くぐり抜けた本だけということになります。
(ホントか?)

オートバイでも古くは「BM乗り」(水平対抗エンジンとシャフトドライブからくる乗りにくさを克服して早く走れるライダーを
指す)という言葉があり、癖があるバイクを乗りこなすこ
とも趣味の要素に数えられていました。従って、ポルシェについても
何となく想像する
ことはできました。しかし、自分で欲しいかと言ったらノーです。絶対速度が速くなってしまう? 
早くないと楽しめないということからくるリスクが高い
ように感じるためです。切れ味鋭い刃物のように使い方を間違えると
自分も怪我
をしてしまいそうです。この著者も実際に事故を起しています。クルマに対する愛着、そのクルマをとりまく
魅力的な人間関係は痛いほど分りますが、
とばさざるを得ないような走り方を要求するクルマに乗り手の方が対応
しきれていないように
感じました。

上記の部分は昨日書いたものです。ところが本日、車好きの知人と道で擦れ違ったところ76年式のポルシェ
911に乗り換えていました。早速見せてもらいましたが、27年前のクルマとは思えないほどしっかりしており、
また、サイズもこぶりで魅力的でした。維持費や家族のことを考えると、流石に持てるとは思いませんが、
やはりポルシェはかっこいいと感じました。また、知人によればハンドルを切るだけで外側のタイヤに過重が
かかるのが感じることができるなど、操作に対するクルマの反応がいいようです。低速で走っていても楽しい
とのことでした。
従って、とばさざるを得ないと感じたのは吉村さんの本、もしくは吉村さんが乗っているポルシェの性能に
よるものかもしれないので、本を読んだくらいでは一概に判断できないと感じました。

2003年6月22日

昨日の土曜日は病院のはしごをしてきました。最初は内科の検査です。会社の健康診断で胸膜肥厚と書かれて
いたのですが、本人は気にしていませんでした。たまたまカミさんがそれを見てしまい、インターネットで調べた
挙句に不安がっていたので、検査を受けることにしました。結果は特に問題無しでした。再度レントゲンをとった
ところ、胸膜肥厚と判断できる線は出ているものの、肺自体はきれいとのこと。検査で半日つぶれましたが、
問題ないことが分って一安心です。
次は接骨です。これは金曜日の晩にフットサルの練習中にシュートを受けた際、右手の親指を痛めてしまった
ためです。キーパーのなり手が無いのは子供も大人も同じです。しかたがないので交替でキーパーを務めて
いた際、強いシュートを避ける間もなく(キーパーが避けてどうする!)右手の親指の筋を痛めてしまいました。
フットサルのボールは普通のサッカーボールより硬く、若い人のシュートなどは受けていて恐いほどです。
幸いこちらも骨に異常はなく、包帯で固める程度で済みました。おかげでこの週末は右手を使うのが不便で、
キーボードを叩くのも一苦労です。あらためて親指の大切さを感じています。
いずれにしろ、40歳を超えて、大病、大怪我をしないのは幸せなことです。(でも、今年は厄年なんだよなー)

2003年6月22日

クルマのクーラーが効かなくなったので修理工場に出しました。子供が生まれるというので昨年修理をしたの
ですが(これについてはE21の部屋に詳述してあります)、先日、明らかに効きが悪くなりました。これを見て
カミさんがすかさず「買い替え」と騒ぎ出したので、修理工場のご主人に泣きつきました。コンプレッサー
からもエバポレータからもクーラーガスはもれておらず、すぐには分りそうもありません。洩れた箇所が分るように
蛍光塗料をクーラーに入れ原因追求をすることになりました。結局、コンプレッサーの接続部2箇所、パイプの
継ぎ目の計3箇所から洩れていることが分り、対処してもらいました。早速、昨日、今日と乗ってみたところ、
騒々しい音からクルマが頑張っていることはよく分るのですが、やはり冷え加減は国産車の比でありません。
カミさんがどのような評価を下すのか心配です。

2003年5月31日

託児所付きの映画館とは品川プリンスホテル内の映画館のことです。2週間前の朝日新聞でその存在を知り
ました。新聞にも載ったことだし、子供を預けて一息つきたいお母さんは沢山いるので、土日は予約でいっぱい
だろうと想像しました。ところが、金曜日に申し込んだらあっさり予約がとれたので拍子ぬけしました。それで
赤ちゃん用品のリサイクル店を経営している知人から聞いた話を思い出しました。知人のお店は雑誌や、新聞
にも取り上げられたことがあります。「日経新聞に記事が載ると反響がすごいんじゃないの?」と聞いたところ、
案外そうでもないとのこと。理由は読者層がビジネスマンでなおかつ、子供がある程度大きくなっているため、
記事に反応しないとのことでした。部数は少なくとも育児雑誌に取り上げられた方が反応はいいようです。
この映画館の記事も意外とお母さん達の目にはとまらなかったのかもしれません。
肝腎の託児所ですが、子供はカミさんの心配をよそに元気に遊んでいたようです。私がいないと駄目と、気を
揉んでいたカミさんは複雑な顔をしていました。息子も父親に似て能天気なようです。


2003年5月31日

先日、出産後、初めてカミさんと二人で映画を見に行きました。子供は映画館付属の託児所に預けました。
託児所については別に触れるとして、今日の話題はメジャーリーグの日本人についてです。日々のニュースの
中で、イチロー、マツイ、シンジョーなどの一挙手一投足が報じられているので、日本人プレイヤーがメジャー
リーグにいることは百も承知しています。しかし、これは日本のメディアの見方であり、アメリカの中でどのように
写っているかは分りません。見に行った映画の中で主人公のカップルがニューヨークメッツの試合を見に行く
シーンがありました。その時、バッターボックスにいたのはシンジョー。それを見て、「ああ、日本人メジャー
リーガーはアメリカの風景に溶け込んでいるんだなあ」と改めて、日本人選手のメジャーリーグ進出を実感
しました。

2003年5月31日

知り合いからHPの更新が無いと指摘されたので、日々の雑感を載せることにしました。見てくれていたんですね
(感謝)。子供ができて以来、趣味などのテーマについてはなかなか更新する時間(と話題)がありませんが、
日々感じたことであれば比較的簡単にHPに載せられると思ったためです。ところが、これがなかなか難しい。
というのは、本当の日記ならいざ知らず、ある程度他人に読まれることを意識した途端、文章を何度も読み直し
たり、「これは表現が直接的か?」などど気を遣い、だんだん億劫になってしまうためです。
とはいえ、手軽に載せるのが目的なので、暫く試行してみようと思います。試してみて、あまり面白くなければ
止めるつもりです。