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日々雑感(2018)


11 月 25 日 ボヘミアン・ラプソディ
クイーンのボーカリスト、フレディー・マーキュリーの伝記映画、見てきましたよ。想像以上に良かった。見たのが IMAX だったというのも
よい方に影響していることは間違いありません。

クイーンといえば、中学校 2 年生の頃から耳にしています。でも、特にファンではなかったので細かなことは知りませんでした。
今回の映画で、フレディー・マーキュリーの出自も含め細かいことがよくわかりました。

ストーリーについては、映画なり、公式サイトを見ていただくとして、特筆したいのは、IMAX による音と映像についてです。

ワタクシ、IAMX オタクです。かつては HP に IMAX のページも設けていたものの、新しいタネがないことと、誰の関心もひかなかったため、
目次から外してしまいました。IMAX が適しているのは航空宇宙もの、自然ものだと思っており、一般的な映画はどうだろうと疑問を
もっていました。

今回、初めて IMAX で映画を見たところ想像以上によかったです。心配していた、違和感からくる酔いや、字幕の不自然さなどは
感じられませんでした。反対に IMAX ならではの画質のよさと、音のよさにやられました。クイーンがライブ会場で歌うシーンなど、
まさに自分がステージに立って観客席に向かっているような気分になりました。

また、音に関しては、ロックをこれほどの音量で聞くのは初体験です。ビッグバンドはコンサートに行ってますし、ジャズ喫茶でも相当な
音量で聞いています。でも、ロックをこれほどの音量で聞くことはありませんでした。ロックのライブに行った経験がほとんどないためです。
自宅じゃ、当然、そんな大音量では聞けませんよね。

考えたら、ロックを大音量で聞く場所はほとんどありません。ロック喫茶なんてほとんどみないし、あったとしても音量はたかが知れて
います。でも、映画館なら再生装置も大音量対応ですし、防音も相応の防音がしてあります。それに、ライブ会場と違い雨風の影響も
なければ、音響も格段によいはずです。

それが、IMAX 劇場で存分に味わえるわけですから楽しくないはずがありません。しかも、クイーンですよ。音楽ファンには、IAMX 劇場で
見ることを強くお勧めします。


11 月 25 日 ハンバートハンバート
9 月の初旬からハンバートハンバートという夫婦デュオにはまっています。きっかけは、NHK のスイッチ・インタビューです。漫才師の
ナイツと対談していたのがハンバートハンバート。二人の演奏を見ていたら、何かひっかかるんです。

1 本のマイクを挟んで歌うのはカーター・ファミリーだし、旦那さん(佐藤良成)はギターのほかにフィドルも弾いているし、あろうことか
アイリッシュ風のグループと共演もしています。ナターシャセブンと共通項が多すぎてビックリしました。

早速、CD「FOLK 2」を聞いたところ一気にファンになりました。魅かれた理由は次の 3 つです。



1. ハーモニーが素晴らしい
奥さん(佐野遊穂)の歌声は素晴らしいの一言に尽きます。聞いていて飽きません。佐藤良成の声質は野太いものです。ここまで読むと、
奥さん主体のグループなのかと思ってしまいますが、ハンバートハンバートのよさはハーモニーです。二人で一緒に歌うと 1+1 が 3 に
なり独特のハーモニーになります。「FOLK 2」ではギター 1 本と二人のコーラスのみなので、その魅力を堪能できます。また、
CD「まっくらやみのにらめっこ」の「バビロン」での掛け合いは、何度聞いても飽きません。

2. メロディー、歌詞が素晴らしい
ナターシャセブンには素晴らしい歌が沢山ありました。ハンバートハンバートにも素晴らしい曲が沢山あります。「メッセージ」、
「永遠の夕日」、「大宴会」、「虎」、「がんばれ兄ちゃん」、「国語」などです。手持ちの 2 枚の CD だけでこれだけあるのですから、
恐るべきことです。歌詞はほのぼのするものから、視点が面白いもの、共感するものなどさまざまですが、きれいごとだけではなく
毒があるのが特徴です。毒の強烈さにびっくりする曲もあります。

3. ギターがカッコいい
ギターがかっこいいんですよ。「FOLK 2」の 1 曲目からグットきました。たった 1 本のギターなのに、2 曲目、3 曲目と異なる弾き方で
飽きさせません。どれくらい、影響されたかいうと、56 歳の親父がウン十年ぶりにギターを引っ張り出して弾いているといえば、
その威力が分かるでしょうか。チューナーも買ったしカポタストも買い直しましたよ。

自分でも、こんなギターを弾きたいと思わせるギターなのです。ナターシャセブンの坂庭さんや城田さんはあまりにもうますぎて、
真似したいという気にすらなりませんでした。それに変則的なチューニングも使ってますしね。そこにいくと、佐藤良成のギターはコードを
かき鳴らすのが中心であるため、真似できるんじゃないかと思わせてくれます。でも、これって素人のあさはかさ。実際にやってみたら
そんな簡単じゃないことがすぐに判明。聞けば聞くほど多彩な弾き方をしていてとても真似できません(ごめんちゃい)。

昔のギター小僧には、「FOLK 2」もしくはギター 1 本でのライブ映像をお勧めします。

これらの点に加え、フォークの伝統を感じるところも大きな魅力です。先に述べたカーター・ファミリーやアイリッシュを含め、米国の
フォーク・ソングの原点から、日本で展開された 60 年代フォークの流れを踏まえた上で、自分達のフォークへと昇華していることが
素晴らしいところです。CD のタイトルも「FOLK」ですからね。俺たちゃフォークだ! 文句あるかっ! っていう意気込みを感じます。

インタビュー記事を読むと、高田渡や加川良への言及があり、実際にカバーもしています。残念ながらナターシャセブンの影響は受けて
いないようですが、それでもフォークの流れを自分達なりに踏襲していることが伝わってきます。

私は「FOLK 2」から聞き始めたファンです。これから遡って聞いていこうと思っています。「まっくらやみのにらめっこ」を聞いた時点で、
初期の頃から聞いていたらファンにならなかったかもしれないという予感がしました。

というのも、二人の曲調や歌唱には思考錯誤の時期があり、方向が定まったのが「FOLK」あたりからではないかと推測しているからです。
実際、「まっくらやみのにらめっこ」のカバー写真を見ると、野川公園で行なわれている「はらっぱ祭り」にいそうな雰囲気で、近寄りがたい
雰囲気です。ちなみに、ウチでは「はらっぱ祭り」のことをヒッピー祭と呼んでいました。

歌詞にしても毒性が強く、佐野遊穂の歌いかたも尖った印象を受けます。「白夜」という曲ではジャニス・ジョプリンを思いだしました。
それはそれで魅力を感じるものの、私は今のスタイルの方が好きだなあ。

ハンバートハンバートで唯一残念なのは、生で見ることができない点です。ロックフェスティバルなどので活動を中心にしてきたらしく、
ホール形式でのコンサートをあまりしていないようです。

ナターシャセブンは、これ以上新譜は出ませんが、ハンバートハンバートはお二人とも 40 歳前後とお若いので、これからも沢山の
楽曲を提供してくれるでしょう。末永く楽しめそうです。


11 月 25 日 八幡浜の夕陽
愛媛で夕陽というと双海が有名です。地元の自治体が夕陽を売り物にして町おこしをしているからです。NHK のドキュメンタリー 72 時間で
有名になった下灘駅もこちらにあります。



でもね、関東からの移住者からすると、愛媛は西日が強く、どこでも夕陽がきれいです。八幡浜も例にもれずきれいな夕陽が見えます。
八幡浜市の「売り」にしてもいいと思うのですけど、夕陽は着目されていないようです。八幡浜は「売り」が多いせいでしょう。残念だなあ。


11 月 25 日 牛鬼
今年も秋祭りの季節がやってきました。地元の中学生が牛鬼をかついで回り、お布施を渡すと厄払いをしてくれます。実際に
かついでいるのはただの中学生ですし、集まったお布施はクラブ活動などに利用されることは知ってます。それでも、なぜか
ありがたい気がするんですよね。今年は、西日本豪雨による自然災害もあったことですし。



来年は何もないといいな。


11 月 25 日 今年のみかん
7 月の西日本豪雨でどうなることやらと心配されたみかんですが、無事に収穫が始まっています。私も 10 月の上旬から出荷の
お手伝いに行っています。



今年のみかんは豊作ながら、玉が小さくてみかん農家に不評です。コンテナをいっぱいにすることを考えた場合、普通玉であれば
50 個収穫すればすむのが、小玉だと 70 個収穫せねばならず、手間がかかるからです。それに、玉が小さすぎると食用にならず
加工用にしかできません。

玉が小さくなった理由は日照り続きです。今年の夏は猛暑でした。そのせいで、みかんの水分が不足したようです。ひょっとすると、
豪雨被害でスプリンクラーが使えなかったのも影響しているのかもしれません。

昨年は量がとれず、今年は量はできているものの玉が小さいという具合で、なかなか農家の思うようになりません。

私はというとあいかわらずみかん運びだけ担当しています。でも前年よりも体への負担は増えました。おじいさんが歳をとるに従い、
荷物を運ばなくなった分だけ、私の担ぐ量が増えたからです。

はや 11 月中旬。12 月の終りまで出荷が続くので、この先、体が無事かどうか不安があります。でも、84 歳のおじいさんが相手なので
弱音を吐けないんだよなあ。


11 月 25 日 ペンギン・ハイウェイ
子どもが見たいというので映画「ペンギン・ハイウェイ」を見てきました。アニメ映画でしかも小学校 4 年生の男の子が主人公だといいます。
そんなもの、男子高校生が見て楽しいのかなあと思ったら、オヤジでも十二分に楽しめました。

まず、驚いたのが絵の美しさです。絵のきれいなアニメといえば、数年前に公開された「君の名」です。「君の名」を見た息子によると、
「ペンギン・ハイウェイ」もそれに劣らないといいます。よく、日本のアニメは文化として海外に広まっているというニュースや記事を目に
するじゃありませんか。ホントかいなと思う心がある一方、ジブリ作品を始めとして、「この世界の片隅に」や「ペンギン・ハイウェイ」を
見ると、確かに世界をリードしていると思わざるをえません。

残念ながら、全編とおして素晴らしいというわけではなく、稚拙なところもままあります。それでも、上から水中をのぞいたときの描写や、
光のあたり具合などの描写には驚いてしまいます。

ストーリーの方も、想像だにしない展開で引き込まれました。ストーリーについて説明するとネタバレになるためしませんが、SF ファンタジー
といえるでしょう。特に男性にはファンタジーだろうと思います。女性がどう見るかは微妙です。

子どものつきそいで見たこの作品。思わぬ拾いものでした。子どものおかげで、自分では見なかったはずの映画を見たり、音楽を聞いたり
するのは、刺激があって意外と楽しいものです。


11 月 25 日 女と男の観覧車
ウッディ・アレン監督の最新作「女と男の観覧者(原題:Wonder Wheel)を見てきました。いやあ重かった。3 年前、評判がよいというので
見に行った「ブルー・ジャスミン」に勝るとも劣らない重い内容で、見終わったら、カミさんと一緒にぐったりしちゃいました。

ブルー・ジャスミン」もそうでしたけど、救いがないんですよね。登場人物のうち、誰もハッピーにならない。あの、シニカルな描き方が
ウッディ・アレンらしいっていえばそうなんですけど、何でここまで重くしちゃうかなあ。

年齢からくる厭世観が反映されたのか、それとも女性問題に関わる私生活の問題なのか。もともと、ウッディ・アレンは女性関係で
もめごとが報道されていたのに加え、最近は Me Too ってのもありますからね。

この監督、しばらく同じ傾向が続くので、次もこんなんだったら嫌だなあ。くすっとした笑いが好きなんですけど。

それでも、82 歳になるウッディ・アレンの作品を今年も見られたのはよかったです。


11 月 25 日 ヘルメット新調
Arai の SZ-M ヘルメットが疲れてきたため、新調しました。新たに購入したのは、Kabuto という会社の Avand U CITTA。高校生の
頃からこれまでずっと Arai のヘルメットを購入していたので、散々迷いました。シンプルなデザインと質実剛健の雰囲気が好き
だったんですよね、いかにも正統派っていう感じで。



でも、今回は違うメーカーにしました。メーカーを変えた理由は、値段と Arai の販売方法に疑問を感じたこととです。

いつの頃からか、Arai 製のヘルメットは値段が統制されたようで、どこの店でも同じように、ほとんど値引きなしで売られています。

ヘルメットではありませんが、かつては Adidas もそうでした。ほとんど値引きされずに売られていたものの、公正取引委員会の
ご指導のたまものか、今はどこの販売店でも自由に値付けされています。でも、Arai 製のヘルメットは未だに値段が統制されていると
しか思えません。公正取引委員会のご指導があったにも関わらずです。ちなみに、日本でシェアを 2 分している SHOEI についても
同様です。

リッターバイクなど、100km 以上の速度での使用頻度が高いライダーなら、高くても実績があり、高い安全基準をクリアしている
Arai 製を選ぶのは道理でしょう。でも、私の場合、250CC のバイクでせいぜい 80km までしか出さないため、高額でハイスペックの
ヘルメットはもはや不要です。

それにね、ヘルメットって高額すぎませんか。メーカーは 3 年毎に交換せよといいますけど、3 年毎に交換できる金額じゃありません。
そもそも、ヘルメットって、40 年くらい前から材質、軽量化、機能のいずれにしても進歩が少ないように見えます。それで、値段が
上がる一方というのはなぜでしょう。

Kabuto のヘルメット、早速かぶってみたところ、思ったよりもよくできています。ヘルメットのストラップ端の処理方法など、細かい
ところで Arai よりも劣る部分があるものの及第点です。それよりも驚いたのは、シールドの中に巻き込む風の少なさ。今までの
ヘルメットは、風が入ってしまい、バイクに乗ると目が充血しました。もともとドライアイなので、風が当たってよいはずがありません。

ところが、新しいヘルメットでは風が巻き込まず、目が充血しませんでした。これはもともとの製品の差なのか、古いヘルメットの方が
劣化によって密閉性が落ちたのかは定かでありません。

これで、バイクに乗る際の悩みが一つ減りました。


11 月 25 日 「タイム」閉店
予備校生の頃から通っていた高田馬場の中古レコード屋「タイム」が 2016 年 1 月末に閉店していたことを知りました。ここに勤めていた方が
三鷹で始めた「パレード」は、まだまだ元気ですが、本家本元の「タイム」を最後に訪れたのはいつだったでしょうか。

「タイム」はベストな中古レコード屋さんでした。まず、種類が豊富なこと。20 代の頃はひたすら音楽を吸収する時期で、あるアルバムの
ライナーノーツに書かれた情報をもとに他のアルバムを探したり、映画を見て気になった曲を探したり、人からすすめられたアルバムを
探したりしていました。そんなとき、「タイム」にいけばたいていのものが見つかりました。

よそでは滅多に見ないブルーグラス系のコーナーもあり、ノーマン・ブレークのアルバムを見つけたのもここです。よくもまあこんなもの
置いてあるなあ、というのもありました。フォーク・ソング好きのアメリカ人学生から教えてもらった、Gordon Bok という人のアルバムです。
東京広しといえども、今も昔もGordon Bok のアルバムが置いてあったのは「タイム」くらいのものでしょう。それくらい、珍しいものも、
ごくごくフツーに並べてありました。

次に、盤質がよい上に値段が良心的だったことが挙げられます。中古レコードは A、B、C、D という具合に盤質に応じて値段が
ついています。よその中古レコード屋の A を買ったら、「タイム」の B か C くらいの盤質なのに値段が高くてガッカリしました。

私の中で、中古レコード屋のナンバー 1 が「タイム」、ナンバー 2 が「パレード」です。ちなみに、新品の LP 屋で一番好きだったのは、
吉祥寺の「Disk Inn」ですね。新星堂がやっていた輸入盤専門店です。ここも、品揃えがマニアックで、店員さんが書いたアルバムの
紹介文を見るのが楽しみでした。

振り返ってみて、こんなレコードよく買ったなあというのは、たいてい「タイム」か「Disk Inn」で購入したものです。お世話になりました。

「タイム」がなくなったことで、また一つ東京の魅力が減ってしまいました。


9 月 1 日 自分のしたこと、できたこと
7 月の大雨後、仕事の合間にしたことは以下のとおりです。

1. 物資運び
肱川支所以外に、大洲、宇和島の計 3 箇所に水や食料などの救援物資を運びました。時間の経過とともに必要な物資が変わるため、
持っていくものは異なります。既に物資は事足りているらしく、大洲、宇和島、ともに物資の受け入れは休止中です。






2. 土砂かき(みかん小屋)
秋に出荷をお手伝いしているみかん農家の倉庫に泥や土砂が流れ込んでいることが分かりました。この時期は農薬をまいたり、摘果を
したりしなければいけない時期です。倉庫の片づけをしている余裕がないと、おじいさんから聞いたため、泥かきと土砂かきをお節介しました。



3. 実家の裏庭


(この写真は市役所のホームページからダウンロードしました)

(1) 樹木の片づけ
山から落ちてきた木々、落ちかかっている木を、森林組合、近所の方総出で片づけました。私がお手伝いしたのは伐った枝を運ぶ
ことですが、35℃の猛暑日に終日作業をするのはこたえました。熱射病一歩手前です。



(2) 土砂かき
裏庭に落ちてきた大木は片づけたものの土砂は残ったままです。問題なのは、側溝が埋まっていること。正常な状態では、法面から
出た水は側溝を通って排出されます。しかし、側溝が埋まっているため、雨が降ったら水がどのように流れるか分かりません。
母屋の方に流れる可能性大です。したがって、台風シーズンが来る前に側溝を掘り返すことにしました。

とはいえ、側溝を覆いつくす土砂を見るだけでげんなりしちゃいます。でも、被災地の方は、嫌が応でもこういう土砂に立ち向かって
いるのです。私もブーたれてる場合じゃありません。



自分の仕事を終えた夕方に 1 日 2 時間ずつくらい掘っていきました。見ただけじゃ分からないんですけど、石、泥、木の根っこが
混じった土砂は、連日の陽射しで固まっており、スコップくらいじゃ歯が立ちません。とうとう、My ツルハシを買っちゃいました。まず、
ツルハシで崩しておいて、スコップで取り除くという手順です。とりあえず、台風 20 号までは何とかなりましたけど、9 月、10 月と台風が
来るので油断できません。

(3) ブルーシート貼り
崩れた斜面の上半分は森林組合にお願いしてブルーシートを貼ってもらいました。しかし、下半分は自分達で貼ることになったので、
親戚の若い方と 2 人で貼りました。写真じゃ伝わらないのですが、この斜面、傾斜が結構急なのに加え、足場が悪いことから怖いの
なんの。ロープも何もつけずに斜面を横断するのは、雪渓をアイゼン、ピッケルなしでトラバースするようなものです(したことないけど)。



一旦、貼ったものの、重しとなる土のうが足りず、強風であおられてめくれたので、その後、何回も補修しています。おかげで、シートを
固定するにはロープよりもゴムバンドの方がよさそうなことなど、ノウハウがついてきました。上で書いた側溝と同様、こちらも 9 月、10 月と
台風が控えていますので油断できません。


7 月 16 日 肱川よいとこ
私が愛媛に移転してきたのは 2015 年の 4 月です。それから約 3 年の間、肱川ではよく遊ばせてもらいました。

もともと川が好きなのは、小学生の頃、岐阜県の根尾川の近くにいた関係で、川で泳いだり、やなに行ったりした経験があったからです。

大人になっても、根尾川の体験を再現しようとして、やなのある栃木県の那珂川に行ったり、埼玉県飯能市の名栗川沿いをバイクで散歩
したりしていました。しかし、住んでいた東京都小金井市からは何時間もの移動が必要となり、気軽に行けるわけではありませんでした。

それにくらべ肱川は 30 分もかからずに行けます。また、今回、おおきな被害を受けた菅田地区はバイクでのんびり走るには最高の道で、
さらにその上流の野村を通って宇和に抜けるルートも何度か走っています。野村の高台から見た平和な景色が、数年後に水害に遭うとは
想像できませんでした。



また、菅田地区よりも少し上流ではカヌーも楽しみました。また、下流でも 10km におよぶカヌー・ツーリングをさせてもらったこともあります。

それから、今回、放流のしかたが問題となった野村ダムのまさに真横で行われたクラシック・カー・フェステイバルを見に行ったこともあります。

このように肱川は身近に何度も行ける川でした。今は大雨から時間がたっていないことから泥水ですけど、もう少しすれば清流に
戻ることでしょう。でも、カヌー遊びをさせてもらったカヌー艇庫は、確かめるまでもなく被害を受けたでしょうし、何度も行った道の駅も
水没して営業再開時期は未定です。

好きだった川が暴れて、物質的被害、人的被害のもとになってしまい、寂しい限りです。


7 月 16 日 肱川上流
今回、愛媛県で被害の大きかった西予市野村、大洲市はともに肱川の流域にあります。野村の上流にある野村ダムに許容量以上の
水量がたまったため放流を行い、その結果、野村の街が浸水しました。さらに、その水が下流の鹿野川ダムにむかったため、当然、
鹿野川ダムも放流することになり、川沿いのみならず人口の多い大洲市の中心部も冠水したわけです。

その鹿野川ダム(下の写真)の近くに知り合いの方が住んでいるため、お見舞いをかねて行ってきました。そこのお宅は床上浸水した
そうですが、避難したため人的災害はありませんでした。



豪雨災害があって以来、初めて大洲市に向かったところ、想像以上に被害が大きいことが分かりました。報道されている、国道 56 号
沿いのみならず、それ以外の場所も被害にあっていました。自動車を修理に出している工場にも立ち寄って聞いてみたところ、急に
水かさが増えて胸まで冠水したそうです。

そこから始まり、市の中心部のいたるところで道路には、水没した家具や畳、電化製品などの家財道具がうず高く積まれています。








中心部を抜け、肱川上流の山間部に向かうと、さらに水害の規模の大きさに驚かされました。肱川よりも結構な高さにある道路でも、
ガードレールには樹木がからみつき、道路には乾いた泥がこびりついており、道路沿いの家の前には市内と同様、家財道具が
積み上げられています。







また、橋げたごと流されている橋もありました。



さらに、鹿野川ダム間近の肱川町の中心部では家という家が泥で覆われており、まさに泥かきの最中でした。

知り合いのお宅は、街の中心から少し上がったところにあったのが幸いして床上浸水ですんだようです。ようやく電気が通じ、水道も
復旧したものの、飲料には適さないため、飲み水は肱川支所役場までとりに行かなきゃいけないと言ってました。肱川支所前には
自衛隊の給水車が常駐しています。



7 年前に見た三陸津波の被災地では、発生後一か月たっていたせいか、泥の印象がありませんでした。ところが、今回の被災地では、
とにかく泥、泥、泥の印象があります。





大洲市内では水が出ない箇所が沢山あるといいます。家のすみずみにまで入り込んだ泥を、水が自由に使えない状況で片づけを
しなければならない大変さは想像を絶します。



微力ながら、自分にできることをしていきます。




7 月 16 日 西日本豪雨
西日本の各地で甚大な被害が出ているのはご存じのとおりです。ウチの近所の状況を簡単にお知らせします。最初に申し上げておくと、
K 島家には被害がありませんでした。でも、家内の実家には影響がありました。

ウチの場合、7/7(土)の午前 4 時に家の前の川が溢れそうなので避難するようにという勧告が出されたのと、裏山の軽微な土砂崩れに
関する避難勧告がピンチでした(ウチのある場所は急傾斜崩落危険区域です)。しかし、結局、川が溢れることも、大規模な土砂崩れが
発生することもなくすみました。

しかし、家内の実家では、家の真後ろにある山が崩れ、崩れた土砂と樹木が堰堤を乗り越えて裏庭に流れこんでいました。母屋に被害が
なかったのは幸いです。



この他、八幡浜市内では一部が冠水したり、各地で土砂崩れが発生しています。予讃線の線路も土砂で埋まり、鉄道は現在も不通の
ままです(7/17 に松山〜八幡浜間は復旧)。



それでも、7/13 現在、電気も水も使えますし、スーパーなども通常どおり営業していますので、これで文句を言ったら罰が当たるでしょう。
大洲市や西予市では泥と格闘をしている箇所が多数あるのに加え、水が使えない箇所も多数あるためです。


6 月 3 日 意外なところに…

先日、近所のみかん農家に行ったときのことです。用事が終わったので帰ろうかと思ったところ、机の上にある、スピーカーに
気づきました。BOSE 製の横置きのスピーカーです。珍しそうにしげしげと見ていたら、おじいさんが、「倉庫にもあるんよ。見るか?」
と言います。

おじいさんの後について、みかん倉庫に行ってみたら、みかんのコンテナに囲まれて、小型冷蔵庫くらいのスピーカーがどーんと
置いてあるじゃないですか。真ん中には、専用の電源をひいたアンプと CD プレーヤーが置いてあります。

まさかの JBL です。

聞けば、冬にみかんを選果する際に鳴らしているんだそう。聞くのは、クラシックからジャズから歌謡曲と「何でも」ですって。どんな音が
するんだろう。愛媛のみかん農家おそるべし!

6 月 3 日 寒風山+伊予富士
九州南部が梅雨入りしたことから、慌てて山に登ってきました。九州が入ったということは、四国の梅雨入りが秒読み段階ということです。
今回登るのは、先月登った笹ヶ峰の隣の寒風山。前回、どちらにするか迷った山です。

何回かきたことがあるので、登山道の入口に迷わず到着。暑いくらいなので、T シャツ 1 枚で登り始めます。ほぼ、コースタイムどおりに
桑瀬峠に到着。




寒風山へと進みます。ここからは林の中を歩きながら高度をかせいで行くのであまり見晴らしがよくありません。ハシゴをいくつか登って、
山頂直下の笹原にでました。つつじがきれいです。



10 時 20 分に山頂到着です。笹ヶ峰の方を見るとこちらも山頂の下がつつじで赤く染まっています。山頂からは見えないところに
群生してるんですね。ちち山もばっちり見えます。



さあ、ここからは、次の山に登るべきかどうか悩みます。位置関係をご説明すると、前回登った笹ヶ峰から西に寒風山、桑瀬峠、
伊予富士と並んでいます。つまり、桑瀬峠を中心に東に登れば寒風山、西に登れば伊予富士というわけです。

したがって、寒風山から下りる際に桑瀬峠を通りすぎて西に向かえば伊予富士に着きます。下の写真でほぼ正面に見える山が
伊予富士です。結構、距離がある上に、300 メートル下ってから、また 300 メートル登らなければなりません。



それに、山頂で出会った他の方に聞いたところ、伊予富士の山頂直下の急登は、四国三大急登の一つだって言うじゃありませんか。
そんなところ登ったら下りが大変じゃないかという天使の囁きと、また今度って言ってると体力が低下して登れなくなっちゃうよという
悪魔の囁きが頭の中で交錯します。

まあ、桑瀬峠まで戻ってから考えることにして下山開始。問題先送りです。足をいたわりながら慎重におります。

桑瀬峠についたのが 11 時 25 分。まだ早いし、足の調子もいいので、伊予富士へと向かいます。急な上りを過ぎると山頂が見えて
きました。見晴らしはいいけど、笹原はアップダウンがあります。アップはいらないんだけどなあ。



ついにきましたよ、山頂直下の急登。途中に人が写っているのが見えますか。ボヤいても自分で歩かないと山頂に着かないのが
登山のつね。あきらめて登り始めます。



ようやく山頂に到着です。



この後、慎重に慎重を重ねて、15 時前に無事登山道入り口まで戻ることができました。

前回の笹ヶ峰では 2 つ登って歳を感じたのに、今回は 2 つ登っても平気でした。この差は何でしょ。こうやって調子にのってると、
いずれ痛い目に遭いそうな気がします…。

5 月 27 日 竹の子こわい

実家の裏山には竹林が隣接しています。この竹林、所有者が県外にいるとかで荒れ放題。



そこから越境してきた竹の子が実家の裏に出てきているため、伐採しました。雨後の竹の子という言葉があるとおり、竹の成長力には
驚かされます。

こちらの竹の子、10 日前にも伐採したときには出ていなかったことから、10 日間でここまで伸びたことが分かります。放っておくと、林が
竹に駆逐されてしまうため、今年はえてきた竹の子は切り倒します。



10 日前に伐採したときは煮て食べましたが、今回は伐採するだけです。竹の子って、皮を向いたり、煮たりと案外手間がかかります。
それに、「竹の子はもう飽きた」だの「冷凍庫が竹の子でいっぱい」だのという外野の声もあり、今回は伐採だけにします。

竹の子というのどかな響きとは裏腹に、竹と人間の戦いであります。

5 月 27 日 日土小学校(松村正恒作品)
以前から気になっていた日土小学校をようやく見学することができました。日土小学校は八幡浜市内にある小学校で、そこの木造校舎は
国の重要文化財に指定されています。また、DOCOMOMO という国際組織が選んだ日本の近代建築にも選ばれています。

百聞は一見にしかずで、まずは校舎をご覧ください。外見はそれほど奇抜ではありません。



とにかく明るい玄関と下駄箱。



明るい廊下。



自然光が上下から入る独創的な図書室。図書室は壁際のベンチ、六角形のテーブル、壁の模様など独特なアイデア満載です。



図書室のテラス。本を読むのに飽きたら、ベンチに座っておしゃべりができます。このテラスは川の上にせりだしており、川面を流れる
風が最高。



こちらの階段も意図的に川にせりだしています。上り下りするだけでワクワクしそう。



校舎が川に面していることがよく分かります。川の対岸はみかん畑になっており、5 月にはみかんの花が、10 月にはだいだい色の
みかんが見えることでしょう。



この校舎を設計したのは松村正恒です。設計当時の肩書は八幡浜市役所市土建設係。何で、片田舎の公務員設計士がこんなに
素晴らしいものを設計したのだろうと思うでしょう。ところがぎっちょん、この方は大学時代に蔵田周忠(バウハウスの流れをくむ)のもとで
勉強し、卒業後は土浦亀城(フランク・ロイド・ライトの流れをくむ方)のもとで働いたことのある立派な設計士なのです。

どれほど有能だったかというと、1960 年に文藝春秋が選んだ日本の建築家 10 人に選ばれていることからも分かります。この 10 人の
中には丹下健三、前川國男、吉坂隆正(後者の 2 人はル・コルビュジェの弟子)が入っていることから、この中に選ばれるということが
どれほどのことか分かるでしょう。

市役所の建設係として、松村さんは市内の小中学校や病院、図書館などを多くの建物を手掛けています。家内が通った小中学校も
松村作品だそうで、日土小学校を一緒に見学した際は何だか懐かしいと言ってました。残念ながら、大半の建物は建替えられてしまい
ました。それでも、日土小学校が残ったのは奇跡的です。この建物、いまだに現役の小学校であり、子供が通っているというのには
驚くやら、羨ましいやら。

5 月 27 日 その他の松村正恒作品
前回の日土小学校からの続きです。日土小学校を見て、松村正恒に興味が湧いたため、市の中心部にある他の作品も見てきました。

こちらは三瀬病院。窓の飾りが特徴的ですが、それ以外にはこれといった印象がありません。



こちらは宝道医院(施工当時は異なる名称)。壁に開けられた穴や、廊下の天井の明かりとりと思われる穴に個性が感じられます。



こちらは旧八幡浜市立図書館。裏から見るとそうでもありませんけど、陽のあたる方から見ると、ガラス窓の多さや階段の踊り場と
思われるところに、日土小学校との共通点が感じられます。




松村さんが市役所に勤めていたのは 1947(昭和22)〜1960(昭和35)です。その後は松山で建築設計事務所を営んでいました。
普通は市役所勤務のときの方が制約が多く、その後の個人事務所の方が自由に設計できたのではないかと考えがちです。しかし、
上の建築物を見てわかるとおり、実際はその反対で、公務員時代の方が冒険をできたようです。

ご本人の書いたものを読むと、個人の住宅の場合、あまり奇抜なものを作って保守営繕費がかかっては依頼主に申し訳ないので、
あまり冒険していないという主旨のことを述べています。その分、公務員時代の建築では腕をふるったのでしょう。そのため、議会から
修正依頼を受けたり、圧力を受けたりしたようです。しかし、当時の菊池清治市長がこれまた立派な方で、松山さんを庇護し、自由に
やらせたのでした。

こうしてみると、日土小学校は始めとする個性的な建造物群は、才能のある設計士とそれを背後で支えた優秀な市長の存在が
あったことが分かります。

5 月 23 日 笹ヶ峰登山

5 月になったので山登り再開です。石鎚山系のどこに登ろうかと地図を眺めながら考えます。石鎚スカイラインは開通していますが、
昨秋の台風の影響で片側通行区間があるといいます。連休中なので混雑必至です。

混雑を避けて、笹ヶ峰に行くことにしました。昨秋に登った堂が森が石鎚山系の西端に位置するのに対し、笹ヶ峰は東端に位置しています。

登山道までの林道には迷わず入れたものの、途中から未舗装になったのには驚きました。かつて、バイクで林道を走っている頃は、
10 キロや 20 キロの未舗装路を走ったものです。でも、乗用車でこんなに長く走ったのは初めてなので緊張しました。

ちょっと遅いかなと思ったものの、幸い、登山道の入口に車を置くことができました。他県ナンバーのクルマもチラホラいます。



整備された登山道を登ること 90 分、山小屋の丸山荘に到着しました。宿の前のアケボノツツジがきれいです。




休憩しながら、登山道の入口ですれ違った若者の集団のことなどを山荘のご主人とお話しします。何でも、高校のインターハイの予選で
山岳部の学生が登っていたとのこと。さすが、石鎚山が背後にひかえる中予、東予の高校は違います。南予の八幡浜高校にもかつては
山岳部があったそうですが、今じゃなくなっています。



他のお客さんが山頂から降りてきたのと入れ替わりに出発します。ここからは笹のつづら折れをひたすら登ります。なかなか山頂は
近づきませんが、背後の沓掛山を振り返りつつ高度をかせぎます。



寒風山からの合流をすぎれば山頂はすぐ。11 時過ぎに到着しました。人が結構多かったのに加え、風が強くて寒かったため、山頂よりも
少し低い岩陰で昼食です。山頂ほどの展望は望めないため、気分はイマイチ。




ヤッケをはおっても寒いくらいなので、次のちち山を目指してそそくさと出発します。写真で正面に見える一番高いところがちち山です。
地図上からは、あまり高低差のない稜線歩きを期待したものの、一旦鞍部まで下って登り返すのが一目瞭然。地図じゃこの行程差は
分かりませんでした。



鞍部から見上げると、結構な登りです。行くべきか行かざるべきかそれが問題。足の筋肉を使い果たさないよう、ゆるゆると登り、
ちち山に到達。

ガイドブックに記載されていたとおり、笹ヶ峰とは違う景色が見られました。





後は下るだけです。若い頃でしたら、上りだけが厄介で、山頂に達したら山登りが終わったも同然でした。でも、今じゃ違います。山頂からの
下りの方が厄介になってきました。登りはほぼコース・タイムどおりだったのに、帰りは膝をかばって慎重に降りたせいか、コース・タイムを
大幅に超えてしまいました。

山登りは堪能しましたが、歳を感じさせられた山行でした。あーあ。

5 月 23 日 サウンド・スペース・ワン
故障したステレオの買い替えに関する顛末です。



台所で使用しているナカミチ製のサウンド・スペース・ワンが CD を認識しなくなりました。このステレオが発売されたのは 2000 年頃
ですから、かれこれ 18 年近くたっています。

当時、デンマークのバング & オルフセンを模したと思われる薄型のステレオが市場にでてきており、サウンド・スペース・ワンもその
一つでした。B & O、カッコよかったですねえ。当時でもウン十万円しており、とてもとても手がでませんでした。もっとも、買ったところで、
2 DK の部屋じゃ、似合う置き場所もありませんでしたしね。

ナカミチはマニア向けに定評のあるメーカーで、タワーレコードの視聴コーナーでもナカミチの CD プレーヤーが使用されていました。
そんなプロ使用ということと、デザインに魅かれて購入しました。

それから、18 年の間に、電源が切れなくなったり、CD を認識しなくなったりしたものの、その都度、修理して使い続けてきました。
ナカミチ自体は倒産してしまいましたが、アフターサービスはしてくれたからです。

そんな中、また CD を認識しなくなりました。前回は 3 年前に故障し、\23,000 で修理しています。今回も修理すると前回と同様の
修理費がかかるでしょう。その値段であれば、新しいステレオが買えます。

コスト・パフォーマンスと技術の進歩を考えた結果、似たようなデザインのパナソニック製品を購入することにしました。

結果は大失敗。CD を聞いて最初に感じた違和感が一か月たっても解消せず、結局、パナソニックはやめてサウンド・スペース・ワンを
修理して使っています。

なくなって分かることってあります。まさに今回がそれでした。サウンド・スペース・ワンで当たり前のように聞いていたラジオや CD が
当たり前ではなかったことに気づかされたのです。それは音の良さです。静寂なピアノ・ソロやホールに響くソプラノ・サックスなどの
音がきれいに聞こえるのです。

考えれば分かることですが、サウンド・スペース・ワンと、今回購入したパナソニック製品では価格帯も使用目的も異なっています。
前者は、それなりの音質を欲する人向けの製品ですし、後者は、ウォークマンや ipad などのポータブル機器の使用が主な若者が、
bluetooth 連携でスピーカーがわりに使用するような製品です。軽自動車で高速道路を走って、「BMW と高速の安定感が違う!」と
ケチをつけるようなものでしょう。

したがって、パナソニック製品がどうこうというわけでなく、修理代をケチって安い機種に買い替えた自分が悪いのでした。

ナカミチが帰ってきて、当り前の生活に戻りました。修理してくれるところがいつまでもあるといいなあ。

5 月 23 日 スピーカー・スタンド
念願のスピーカー・スタンドを購入しました。前から欲しかったのですが、適当なサイズがないのと高いので躊躇してました。
でも、そうでもないことが分かり、即お買い上げです。もっと早く買えばよかった。



スタンドに載せると見栄えがいいですね。でもなあ、良かれ悪しかれ音が変わっちゃいました。前の地を這うような低音が薄くなってしまい、
その代わり、清澄な印象が強まりました。聞く CD によって、これは、スタンドあり/なしの方がよい、と評価が分かれるようです。おまけに、
スピーカーを壁から離すだけでも音が変わってしまいます。

何だか、オーディオ・マニアの方が本やブログに書いている悩み、苦しみ、楽しみの一環を体感できたような気がします。ただスピーカーを
置くというだけのことでも、左右のスピーカーの間隔、壁からの距離、床からの高さという変数があるのです。これにアンプ、プレーヤー、
ケーブルの組み合わせが絡んでくるのですから、そりゃあ、おいそれと正解はでないでしょう。

機器の組み合わせの領域に入ると危険なので、スピーカーの位置決めで悩むくらいに留めておきましょう。

5 月 23 日 音楽の楽しみ方
つらつら考えるにつけ、音楽の楽しみ方が変わってきていることに気がつきました。昔は好きなミュージシャンの音楽、聞いたことのない
音楽を聞くのが楽しみでした。しかし、好きだったナターシャセブンはとっくに解散しており、メンバーだった坂庭省悟さんが亡くなったりすると、
新譜を購入する機会が減ってきます。そりゃあ、気にいった映画のサントラを買ったり、子供が聞いている曲にいいのがあったりします。
そういった場合に聞くにしても、該当のアルバムや曲だけに限定されてしまい、かつてのように一人のミュージシャンやバンドの新譜を
ひたすら買うということがなくなっています。

最近は、同じアルバムを違う媒体で聞いたり、違うバージョンで聞いたりして楽しんでいます。例えば、ノラ・ジョーンズの「Come away with me」。
前から好きだったこのアルバム、久しぶりに聞いたらいいじゃありませんか。CD でもこんなに音がいいんだったら、LP だったらどんな
だろうと思ったら、止まりません。結局、LP を購入して悦に入っています。ただでさえよい音がさらに臨場感が増したというか、予想を
こえる驚きがありました。

ちなみに、この LP は上京した際に吉祥寺のディスク・ユニオンで買いました。ノラ・ジョーンズの LP なんかあるのかなあなんて思って
覗いてみたら、あったのでビックリ。やっぱり、東京には何でもあります。

もう一つの例は、アラニス・モリセットの「Jagged Little Pill」です。持っていたのは、ロック調の普通のバージョンです。ところが、最近、
アコースティック・バージョンがあることを知り、早速購入。届いたものをまさに聞いているところです。同じアルバムとは思えないほど
印象が異なり、フォークのおもむき。これはこれで新鮮ですけど、やっぱり当初発売されたロック・バージョンの方が、ヒットしただけの
ことはあってインパクトがあります。

なんか内向きな楽しみ方だなあって?楽しみ方が熟成したって思いたいですね。

3月21日 がんばれ、ホンダ
3 月 25 日にオーストラリアで F1 開幕です。今年のホンダには期待しています。

昨年はご存じのとおり悲惨でした。特に前半には完走もままならず、後半には業を煮やしたマクラーレンンに三下り半を突き付けられた
のでした。危うく F1 から撤退かと思われたものの、そこは大人の事情で、トロロッソという弱小チームと組んで残留することになりました。
トロロッソが使用していたルノーのエンジンをマクラーレンが使用し、エンジンを奪われた形のトロロッソがホンダと組むわけです。

有力なメーカーであり、かつて年間優勝の経験もあるホンダを撤退させることは FIA にとっても興業的に望ましくありません。

それにしても、昨年はマクラーレンにボロクソに言われました。エンジンの問題に隠れてシャーシが問題化することはなかったのですが、
はたしてそうだったのでしょうか。一方的にホンダに責任を負わせたマクラーレン。本当はどうだったのかは、今年の戦いぶりで明らかに
なるでしょう。がんばれ、ホンダ。

3月21日 無事卒業
先日、子供が無事に中学校を卒業しました。思い返せば 2 年前、入学式のときは誰も知り合いがおらず、式が終わると逃げるように家に
帰ったものです。それがどうでしょう。2 年後には多くの友達に囲まれ、名残を惜しんでちっとも帰ってきません。



東京の中学校に行った場合と比べると、こちらの方がよかったと思うことがいくつかあります。例えば、いじめの類が一切なかったこと、
佐田岬から歩いて中学校まで戻る「岬ウォーク」や、異常な盛り上がりの文化祭、やり過ぎなくらいのクラブ活動を体験できたことなどです。

「岬ウォーク」は約 40km の距離を 1 日で歩いて帰ってくるというものです。都会でしたら、安全を確保するのが難しいため、実施できない
でしょう。最も、こちらでも車がビュンビュン通る道なので安全かというと怪しいのですが。異常な盛り上がりを見せた文化祭で、ウチの子は
オタ芸と呼ばれるダンスを 6 人で披露して喝采を浴びていました。東京の学校じゃ受験に配慮して文化祭をしないところもあるっていうじゃ
ないですか。良し悪しは別として、3 年生の秋に心に残る経験ができたのは悪いことじゃないでしょう。

義務教育は終わったものの、高校、大学とこの先も残っているため、総括するにははやすぎます。でも、中学校生活はよかったと現時点では
思っています。

それにしても、学校行事の際に聞く中学生の合唱は楽しみでした。その中でも、式の最後に卒業生が歌った「さくら」(森山直太朗)は
秀逸でした。このメンバーで歌うのが最後であることは誰もが分かっており、誰ひとりとして手を抜くことなく、思いを込めて歌っていました。
それぞれの顔からは「これでお別れだね」とか、「楽しかったね」や「寂しいね」という無言の声が聞こえてきます。
上手いとか下手とかを超越しており、聞いた合唱の中では一番でした。同窓会でも歌えるといいね。

3月21日 突然の春
少し暖かくなって菜の花が咲いているなあと思っていたら、急にあちこちで咲き乱れ、おまけに早咲きの桜まで咲いています。



こちら、どこにでもある菜の花の群生。車を止めて近寄ってみると、聞こえてくるのは「ブーン」という蜜蜂の羽音ばかり。普段でしたら、
ビビりそうな音です。でも、忙しそうに菜の花の間を飛びかっている蜜蜂には、人間に構っているひまなんかありません。

菜の花と蜂。見ていて幸せな光景です。

3月21日 なつかしいクルマ
これを見てオッと思った人はマニアですね。場所は愛媛県松前町。



BMW E21 は、もともと人気がないので、実働しているのはおろか、このような状態で野ざらしになっているものすら目にしません。
外車の多い東京でもそうだったのですから、愛媛じゃなおさらです。

先日、バスで通りかかった際に姿を見かけたので、矢も楯もたまらずに見に行ってきました。これと同じ型のクルマを 1994 年から
2014 年まで乗り続けたんですから、気にならないはずがありません。

まず、外観からチェック。ドアの下の方に錆が浮いているので、他にも錆がありそうです。下を覗くと、マフラーがありません。
エキゾースト・パイプ自体、外されているのかも。内装はというと、センター・コンソールのあたりがごっそりなくなっています。走行距離は
見えないものの、時計などの配置やドア・ミラーの形から後期型のようです。ミッションはマニュアルだし、ウィンドウは手動式なので、
長く乗るにはいいでしょう。ウチのは、最後の方にパワー・ウィンドウの動作が怪しくなってましたから。



ああ、ワタシったら、何を見積もっちゃってるんでしょう。まるで、手に入れてレストアすることを考えているようです。経験からすると、
走るようにするだけでも\100 万円じゃすまないでしょう。それに塗装もしたら、\200 万円じゃ足りません。

でもね、ウチには、これから高級外車なみにお金がかかる「新」高校 1 年生がいるので、外車道楽に費やすわけにはいきません。

それはさておき、あそこを直して、ここをこうしてと妄想するのは楽しい時間でした。不動でも、本物の E21 を拝むことができて幸せです。

2 月 26 日 南西の空に怪しい光

1 月 18 日、いつものように朝 6 時頃に散歩していたところ、不思議なものを見ました。海が見える山の中腹にいたところ、先ほどは
きづかなかった光が南西の山の上に見えるのです。

光の強さは明らかに星よりも強く、人工物としか考えられません。しかも、その光を中心にどんどん雲のようなものが広がっていきます。
しばらく見ていると、光源は徐々に高度を下げていき、山の端に隠れてしまいました。

人工物となると、人工衛星が落下したとか、どこぞのミサイルが上空で爆発したなどとしか考えられません。あまりよい兆候ではないかも
しれないと思いながら帰って、7 時のニュースを見ていたところ、イプシロン 3 号機打ち上げについて報道していました。

そうなんです、鹿児島県にある内之浦ロケット発射場から打ち上げられたロケットを偶然目撃したみたいなんです。

打ち上げ :6 時 6 分 11 秒
第一段分離:2 分 41 秒後
第二段分離:6 分 30 秒後

おそらく、切り離されたロケットが落下するところを目撃したのでしょう。うちの方からすると、内之浦はちょうど南西の方向にありますし、
時間もぴったりあいます。

いつかは見たいと思っていたロケット発射の一環を、期せずして見てしまったことになります。

私が実際に見た光景は、こちらのうち、光源から扇状に白くなっているものが似ています。


2 月 26 日 笠置峠古墳古道
八幡浜に来てから、ご当地ものの本を読んでいます。例えば、ライト兄弟と同じ頃に飛行機を飛ばそうとしていた二宮忠八を描いた
「虹の翼」や、この地からアメリカに密航を企てた人々を描いた「北針」や、シーボルトの娘を描いた「ふぉん・しいほるとの娘」などです。

ちなみに、「虹の翼」と「ふぉん・しいほるとの娘」は吉村昭が書いたものです。私にとって吉村昭といえば、短編「梅の蕾」で岩手県
田野畑村とはきってもきれないご縁のある方ですが、この方にご縁があるのは岩手だけではなく、愛媛県ともご縁があることが
分かってきました。

「ふぉん・しいほるとの娘」では、長崎の出島からやってきたシーボルトの娘、「おらんだお稲」が八幡浜に上陸して、そこから陸路で
宇和を目指すくだりがあります。そのお稲が歩いたと思われる「笠置峠古道」が残っているので歩いてきました。





ここら辺では、大正や明治は当たり前に残っており、石碑などを見ると江戸時代のものが多数あります。今回もまさにそのとおりで、道々に
ある石碑などの年号は江戸時代。誰も通らない古道を歩いていると、いつの間にかタイムスリップしちゃうんじゃないかと思いました。



古道に加えて驚いたのが、山の頂上付近に出現した古墳。こんなところに古墳を築いた人たちがいるとはびっくりです。



今回とは別の道になりますが、坂本龍馬ファンだったら食いつきそうな、「龍馬脱藩の道」なるものも近隣にあります。

この地には、私みたいな歴史初心者にとっても楽しめる種や場所が多数残っています。


2 月 26 日 寒い冬
今年は寒いですね。一昨年は大雪が降って車の立往生が発生して全国ニュースにもなりました。今年はその年をしのぐ寒さで、
もう 3 回以上雪が積もっています。

ことに、八幡浜が属する南予地方は、日本海側の雪雲が関門海峡からそのまま入ってきてしまうので、福岡、北九州あたりで雪が降ると、
こちらも雪になります。瀬戸内の気候というよりも、九州北部の天気に近い印象です。

愛媛といえば比較的温暖な印象があったのですが、それほど温暖ではないのかもしれません。暮らしてから 3 年のうちで 2 シーズン以上
寒いのですから。

こちらは、1/12 の様子。とても愛媛とは思えない景色です。





はや、2 月。早く暖かくならないかなあ。