12月31日 舌間の夕陽
家から歩いて 30 分、車で 5 分のところにある舌間湾の夕陽です。
12月31日 国本武春さん亡くなる
国本武春さんの訃報を聞いて、ビックリ、ガックリしています。国本さんの独演会を聞きにいったのは 2008 年なので、もう 7 年も
前のことです。あまりにも印象が強烈だったので、こちらにも相当な量の文を書きました。その後、国本さんが体調を壊したものの、
一時療養のうち復帰したことを知りました。2、3 か月前にはテレビの浪曲番組でお元気な姿を拝見していたので、まさか、こんな急に
亡くなるとは夢にも思っていませんでした。
55 歳というと、私と 2 歳しか違いません。7 年前のようなエネルギーの塊のような芸風は無理にしろ、年齢と共に円熟味を増して
いくはずだったのに、こんな若さで亡くなるとは本人も思わなかったことでしょう。
国本さんのおかげで、浪曲に興味を抱くことができました。ありがとうございました。
12月31日 レコード四、五千枚
先日、今治に出張に来た友人が寄ってくれたので、八幡浜市内に飲みに行きました。2 軒目の「ロン」というジャズ・バーに行ったとき
のことです。マスターと話していて、レコードと CD あわせて四、五千枚持っていると聞いて、内心「また、四、五千枚か」と思って
しまいました。
どういうわけか、レコード好きの方が集めだすと、四、五千枚はいってしまうようなのです。まあ、厳密にいうとレコードだけではなく、
CD と合わせての数だと思います。
「僕らのヒット・パレード」(片岡義男、小西康陽)を読んでいたら一万枚という数字が出てきて驚きました。でも、この方たちは一般人じゃ
ありませんからね。今年に入って、「田舎でロックンロール」(奥田英朗)を読んでいたところ、レコードにはまった奥田さんが
買いあさった数は四、五千枚とありました。そこに、「ロン」のマスターの四、五千枚です。
一万枚ではなくて、なぜ、四、五千なのかを考えてみると、すぐに考えつくのは以下の要因です。
(1) 住宅事情から、平均的な家屋で収納できる限度が四、五千枚
(2) 経済的な理由から、購入できるのが四、五千枚
(3) 時間的な理由から、購入できるのが四、五千枚
(1) は、住んでいる家や家族構成によって違いますから、決定要因にならないでしょう。私の友人の独身貴族でしたら、スペースには
困りません。
(2) も、可処分所得で異なるので、一概に言えません。それでも、\1,000/枚で計算すると \500 万円ほどです。まあ、自動車や
オートバイ趣味ですと、それくらい使っている方はゴロゴロいるので、非現実的な金額でもありません。私も旧車ではなくレコード収集に
お金を投じていれば、相当な枚数を所有していたかもしれません。
(3) が妥当な理由なのかもしれません。例えば、月に 10 枚買うとすると、年間 120 枚ですから、このペースで買っても 40 年かかる
計算です。月に 10 枚というと、毎週レコード屋に行って 2 枚以上買うことになります。毎週レコード屋に行くのも、よほど気に入った
レコード屋の近所に住まないと難しいでしょうし、よっぽど多作のミュージシャンじゃないと、数か月ですべてのアルバムを買い切って
しまうことになります。それに、相当アンテナを張って、聞きたいミュージシャン、レコードが出てこないと買い続けることは困難です。
しかも、買ったら聞かないといけないんですよね。
こうして考えてみると、(3) が枚数を決める要因のようです。それでも、やっぱりすごいことですね。
12月31日 ラリー・ニッポン
新聞を見ていたら、ラリー・ニッポンなるものが近所を通過するというじゃありませんか。まさか、こんなところでクラシック・カーが走るのを
見られるとは思ってなかったので、早速行ってきました。
まあ、結論から言うと、待ちくたびれて、思ったほど見ることができませんでした。それでも、いつくるともしれないクラシック・カーを道端に
座ってボーっと待っているのは幸せな時間でした。
見に行ったのは隣町の大洲市にある「まちの駅」です。最近のイベントにはありがちですが、ラリー・ニッポンのホーム・ページには
その日のコース概要と通過時間が書いてあり、それによると 11 時に通過することになっています。
とはいえ、「まちの駅」には 2 方向から来る可能性があるので、ホーム・ページの情報だけではどこで待てばいいのか分かりません。
下見をするため、少し早い時間に「街の駅」に行きました。そうしたら、通常営業をしており、観光バスまで止まっているじゃありませんか。
チェック・ポイントとして通過するだけにしろ、テーブルが出してあったり、それっぽい人が準備していると思ったら、まったく普段どおりの
雰囲気です。とても、30 分後に何十台ものクラシック・カーが通過するようにはみえません。
いやあな予感がして、「まちの駅」の方に尋ねてみると、「ウチの方にも連絡がないので、何時に来るのか分からず、困っています」との
お答え。何とですかー。
結局、1 時間近く過ぎてから、先乗りの関係車両と思われる車がやってきて、その後、さらに 30 分過ぎて、ようやく先頭車両が
通過していきました。要するに、予定よりも 1 時間半遅れってことです。
10月11日 ワールド・カップ・ラグビー
日本代表と南アフリカの試合、見ました? 後半40分頃にあの南アフリカから逆転トライですからね。信じられません。日本中が大騒ぎに
なるのは当たり前です。
実はわたくし、年季の入ったラグビー・ファンです。25 年間、秋から冬にかけて秩父宮ラグビー場、国立競技場に大学チームの試合を
見に行ってました。試合を見るためだけに名古屋の瑞穂競技場や大阪の花園ラグビー場まで行ったこともあります。
今回の日本代表メンバーで言うと、畠山、堀江、リーチ、田村、山田、福岡、藤田は競技場で見たことがあります。自慢ついでに言うと、
秩父宮のバックスタンドで観戦中、振り返ったらエディ・ジョーンズが座っていたこともあります。サントリーのコーチをしている頃で、
サントリーのフッカーである坂田と並んで学生の試合を観戦していました。当時は、秩父宮のお客さんでさえもその存在に気づかなかった
ようですが、今じゃ大騒ぎでしょう。
その昔、日本選手権で学生チームがトップリーグのチームを相手にフォワードが互角に戦い、ドライビング・モールでトライを取るのを
見たことがあります。秩父宮競技場が歓声で揺れましたからね。レベルは違いますが、南アフリカ戦で、リーチがスクラムを選択し、
その後でヘスケスがトライした逆転シーンの会場周辺では、かつてないほどの歓声が聞こえたことでしょう。
学生のチームでも強いチームは、ラックから面白いようにボールがでてきます。今回の日本代表チームも同様で、あれほどポイントを
連続して作り、そこから速いテンポで球出しをしたら、南アフリカが相手でも勝てることがよくわかりました。
残念ながら、残るアメリカ戦に勝利してもベスト 8 に入れないことは確定してしまいました。それでも、歴史に残る素晴らしいチームで
あることは間違いありません。
10月11日 元気です
先日、小学校からの幼馴染が広島にサッカーの試合を応援しに来るついでに立ち寄ってくれました。FC 東京の熱狂的なファンで、
地方の試合も見に来ているのです。広島からですと、比較的近いとはいえ、瀬戸内海をスーパージェットで横断して来てくれるわけなので、
ありがたいことです。
東京生まれ東京育ちの私が、不便な思いをしているのではないかとか、地方での生活に馴染めないのではないかと心配しているのが、
質問内容からよく分かります。でも、この HP を見てお分かりのとおり、こちらでの生活を満喫していることを伝えると、拍子抜けしていました。
8 月に来てくれた高校の同級生も同様に心配し、拍子抜けしていました。
期待に沿えず申し訳ありませんが、不肖 K 島、元気に暮らしております。ご安心ください。
10月11日 広田石鎚
先日カヌー下りを一緒にした義弟から教えてもらった広田石鎚山に行ってきました。山とは言えないような 100 メートルほどの岩塊です。
ところが、規模とは裏腹に本ものの石鎚山を彷彿とさせる鎖場の連続で、登り始めて 2 分もたたないうちにアドレナリンが出っ放しでした。
細い登山道は苔むしていて滑りやすく、その横は切り立った崖になっていたりして、落ちたら骨折くらいじゃすみません。
さらに石鎚山と異なるのは迂回路がなく、鎖を上り下りするしかない箇所があることです。とても、子供やカミさんを連れてくる場所では
ありません。
山頂の祠では無事に降りられるようにお参りをし、降りた後も麓の神社でお参りしました。無事に降りることができてよかった。
それにしても、愛媛に来てから急に鎖場の経験値が上がってしまったのはどういうことでしょう。転落しないように気をつけなきゃ。
10月11日 川下り
20 代の頃から、野田知佑さんに憧れており、カヌーで川下りをしたいと思っていました。その念願がかない、川下りをしてきました。
この川下りは、国立青少年の家の催しです。親子づれ、一般の合わせて 100 艇近くのカヌーで、大津城の少し下流から、河口の
瀬戸内海まで 10 キロを下るというものです。肱川というのは、ゴールデン・ウィークに子供と一緒にカヌーを漕いだ川です。
当日は晴天。スタート地点から川に漕ぎ出して流れに乗っていればカヌーは河口まで流れていくはずなので、気分はもう野田知佑です。
でも、現実はそんなに甘くありませんでした。募集要項に「約 10 キロのカヌー・ツーリングに挑戦する意思と体力が必要です」と書かれて
おり、大げさだなあと思ってました。だって、川には流れがあるので、漕がなくても流れていくんですから。
確かに上流では流れていくんですけど、下流ではそうじゃないんですね。下流になると流れがゆったりしてくるので、漕がないとカヌーは
うごきません。それに、海からの風で波がたち、これもカヌーが流れる上で妨げとなります。この風と波は結構くせもので、どういうわけか
カヌーが川岸にと寄せられていきます。そうすると浅瀬に乗り上げてしまうので、なるべく川の中央に行かなきゃ行けないんです。
でも、これがなかなか大変。
お父さんと来ていた女の子が「帰りたい」と泣いていました。その気持ちよく分かります。風が強い箇所では、漕いでも漕いでも進まず、
オヤジの私でさえ泣きがはいったんですから。
そうはいいながらも、手首やら肩やらが痛くなりながら何とか 3 時間弱漕いで、無事河口まで着くことができました。海に出たら波で
どうなることやらと心配したものの、幸い海に出る直前がゴールでした。
20 代の夢がかなったのは嬉しいものです。しかし、実際に川を下ってみると、想像よりも大変であることを身をもって知りました。
今度はもうちょっと流れのあるところがいいなあ。
10月11日 夕景
バイクで散歩した帰りに撮った夕景です。家から 30 分もしない箇所でこんな景色が見られるなんて、幸せなことです。ハイ。
8 月 26 日 石鎚登山
松山空港まで妻子を送り届ける用事があったので、ついでに石鎚山に登ってきました。というよりも、早朝に松山空港まで送り届ける
用事があったので、これ幸いとばかりに登ってきたというのが正解です。カミさんと子供がいると、二人の用事で駆り出されることが多く、
なかなか山に登れませんからね。
当日、朝は雨。でも昼からは降水確率が下がることもあり、登山口まで行って様子をみることにしました。
石鎚山に登るルートは主に 3 つあります。その内、歩く距離が最短の土小屋まで車まで行きます。来る途中は薄日もさすところがあり、
天気は回復傾向です。それにしても、土小屋は遠い。松山から、山の中を 2 時間以上走る必要があります。
登山口に着いたところ、うっそうとした雲がかかってはいますが、雨は降っていません。登ることにしてそそくさと歩き始めます。
最初の 10 分は、どこの山でも同じですが、体が慣れないので少し厳しく感じます。でも、それもつかの間、ミズナラの間をゆく登山道は
急登もなく、緩やかに登っていきます。幸いなことに雨も降ってきません。
パッとしない天候が幸いしてか、登山者にはほとんど出会いません。ガスってるとはいえ、まだ 8 月ですから汗だくになります。曇っていて
よかったかも。これで晴れていたらと思うとゾッとします。休憩するタイミングを逸して歩き続けたら、メインの登山道に合流するところまで
来てしまいました。最近の登山では珍しいことにコース・タイムを大幅に下回っています。
でも、残りの 1 キロは大変でした。何が大変かというと、鎖場です。石鎚登山のメイン・コースには一の鎖、二の鎖、三の鎖と鎖場が3 箇所
あります。私が登った土小屋は一の鎖の先で合流するため、二の鎖からです。今まで、まともな鎖場というと乾徳山の鎖場しか知りません。
ところが、石鎚山の鎖場ときたら、二の鎖、三の鎖とも、それぞれ、65 メートル近くを上るんですよ。65 メートルといえば、15 階建ての
ビルくらいはあります。15 階のビルの高さを鎖を使って、ほぼ垂直に登るわけですから怖いはずです。
前のグループで渋滞しているため、こちらもつっかえながら登ります。岩の途中での待機というのが案外こたえます。下を見ないように
してはいるものの、つい、落ちたら怪我じゃすまないだろう、とか余計なことを考え、腕に力が入ってしまいます。幸い、「岩登りは
腕の力ではなく、足の力で登る」という、本で読んだフレーズを思い出したら、少しは楽に登れるようになりました。
前のグループなんか、勢いで全員で登っていますが、中には動けなくなって、途中の岩場で休憩している女性がいました。グループだから
無理に登ったのでしょうけど、無理させなきゃいいのにね。向き、不向きがあるんだから。かくいう私だって、若いつもりで登ってしまいましたが、
もう 53 歳ですよ。私も人の心配をするより、自分の方を心配すべきかもしれません。
三の鎖を登ったところが頂上です。天候が悪い割に山頂はそこそこ混んでいました。石鎚山の最高峰は、実は山頂ではなく、少し離れた
ところにある大砲岩です。この大砲岩に行くには両側が切り立った稜線上を行く必要があります。今回、危険な箇所は鎖場で十分堪能
しましたので、行く気になりませんでした。
石鎚山がどんなところか分かりましたので、今度はコースと季節を変えてきてみることにしましょう。ああ、無事に帰れてよかった。
8 月 26 日 バイク天国
学園天国といえばフィンガー・ファイブですが、愛媛はさしずめバイク天国です。こちらに来てから、バイクに乗る回数が増えました。
東京に住んでいる頃は、甲州街道〜新奥多摩街道〜五日市と走るのがお散歩コースでした。時間があるときは、ここからさらに奥多摩に
行ったり、名栗方面に行ったりしてました。日中に行くと、途中の信号やら渋滞にひっかかってしまうので、もっぱら早朝に出て午前中に
帰ってくるパターンです。今日は天気がいいなあと思っても、出発が遅れるとあっという間に道が混んでしまい、イライラするばかり。
ところが、こちらは大違い。早朝にでなくても、10 分も走れば交通量も減り、信号で止まることもほとんどありません。海、山、川に
恵まれており、上りも下りもいくらでも堪能できます。コーナーも、自分なりの速度で攻め放題。
東京のお散歩では、乗っている時間の 2/3 以上は信号のゴー・ストップの繰り返しです。ようやく、交通量の少ない山道まで来たところで、
前を遅い車が走っていれば自分のペースで走ることはできません。ところが、こちらでは、乗っている時間の 2/3 以上は自分のペースで
走れます。飛ばそうと思えば飛ばせますし、ノンビリ走ろうと思えばノンビリ走れます。したがって、同じ時間のっていても満足度が
全然違います。
子供はクラブや塾が忙しいので、なかなか一緒に遊んでくれません。そんなこともあって、今後もバイクに乗る機会が増えそうです。
8 月 26 日 柱祭り
愛媛に来て初めてのお盆です。近くで行われた柱祭りに行ってきました。
この祭り、400 年以上も歴史があるんだそうです。火を使った祭りで今も続いているのは(四国で)ここだけだと説明がありました。何でも、
戦国時代に誤って味方の矢にあたって亡くなった修験者の霊を慰めるために始められたそうです。
何をするかというと、玉入れを思い浮かべてください。高さ、20 メートルの柱の上に、玉入れの籠がのっているとします。そこに、玉のかわりに
火のついたまきを投げ込むのです。無事に火がつけば成功です。
ね、聞くと簡単そうでしょ。まきは、20 センチくらいの木片が何本か束ねてあり、放り投げやすいように荒縄がついています。荒縄のはじを
もってブンブン振り回し、放り投げるわけです。
ところが、始まってもなかなか火がつかないんですよ。何せ 20 メートルという高さが曲者です。20 メートルの高さまで放り投げるのが
大変で、しかも、うまいこと籠に入れなければならないからです。最初は照明がついているものの、始まると照明は落ちるので、暗闇の
中をもくもくと火のついたまきが放り投げられます。地味ですねー。
30 分やっても火がつかず、投げ手も疲れたので休憩が入ります。結局、その後、2 回休憩が入り、最終的には開始してから 1 時間半後に
ようやく点灯しました。
歴史が長いだけに、ノウハウがあるらしく、最後の方では火がつきやすいように籠の位置が少し下げられました。カミさんの話によると、
昔は火がつかずに翌日に持ち越されたこともあったようです。「菊池さん、今年はもう少し火がつきやすいようにせないけんよ。去年みたいに
火がつかないと、家族づれが来なくなるけん」なんて、やりとりが町内会であったのでしょう。
火がいつつくのか誰にも分からないという、予定調和ではない点がこの祭りの魅力かもしれません。
ちなみに、最も盛り上がったのは、来賓の市長が投げ初めとして投げたまきが、本部席のテントに飛んでしまったときでした。
市長、やるなあ。
8 月 26 日 四国の交通ルール
バイクで日本一周をしている頃に、四国には 2 回来たことがあります。何せ、西日本は本州側に山陰、山陽と海岸線があり、四国側に
瀬戸内と太平洋と海岸線があるので、1 回のツーリングでは 4 つある海岸線を網羅できなかったからです。
当時、バイクで走る四国の道路の印象はよくありませんでした。主要国道は片側一車線しかなく、しかもセンターラインが黄色
(追い越し禁止)のため、遅いトラックや軽自動車が走っていると、ペースが落ちるためです。おまけに、脇道から幹線に入ってくる車が、
一時停止をせずに飛び出してくるのです。
見はらしのよい国道を走っていると、脇道から車が入ろうとしているのが見えます。この距離だと止まるだろうと予想していると、
何と一時停止せずに入ってくるじゃありませんか。これで、何度も肝を冷やしました。
このような印象があったので、他の、東北や北海道とは異なり、バイクでまた行きたい場所に四国は入っていませんでした。
当時から 20 年以上たって住んでみて印象は変わったでしょうか。変わった部分もあれば、変わらない部分もあります。
変わった部分は、ペースが以前に比べると上がったことです。それは、追い越し車線ができたことと、軽自動車の性能があがったことが
主な理由です。それに加え、高速道路が普及したこともあります。このため、主要国道でペースが遅いと感じることは、
前よりも減りました。
変わっていない部分は、一時停止をしないことです。本州の間隔で走っていると、急な飛び出しにブレーキを踏むことが多々あります。
でも、これもやむを得ない事情があることが分かってきました。
何せ、こちらでは車が下駄かわりです。モータリゼーションの威力はすさまじく、歩いているのは、車を運転できない子供か、
お年寄りくらいです。それ以外の方はたいてい車で出歩きます。そうなると、路上に歩く人はいないものの、車はひっきりなしに通ります。
郊外型の店で買い物をして、道路に出ようとしても、なかなか車が途切れません。止まってくれる車を待っていたら、いつ出られるのか
分かったものじゃありません。だから、みんな少し無理気味のタイミングで突っ込んでくることが分かってきました。
事情は分かったものの、改善される気配はありません。なので、運転する際には神経を遣います。
8 月 26 日 ナンバー変更
引越して以来の懸案だった、車とバイクのナンバー変更をしました。
振り返ってみると、最初に乗った原付バイクを除いて、多摩ナンバーのオートバイと車に 30 年以上乗ってきたことになります。
当然ながら、多摩ナンバーには愛着があります。特に、バイクで日本一周をしている頃は、自分がどこから来たかを示すものだったので、
ひときわ思い入れがありました。まあ、日本一周とはいっても一度にしたわけじゃなく、東日本一周、西日本一周などを組み合わせた
一周ですけどね。
自分にとって愛着があるだけではなく、他人の郷愁を誘ったこともあります。紀伊半島の那智勝浦のガソリン・スタンドで給油した時は、
店のおばさんが、「私は吉祥寺東町の出身なのよ」と話かけてきました。ご縁があって嫁いできたのでしょうけれど、久しぶりに見た
多摩ナンバーに郷愁を感じたようで、こちらもつられて話こんでしまいました。
愛媛に来ても、多摩ナンバーのままにしたいという気持ちもかすかにありました。でもね、未練がましいのも、東京を自慢しているように
みられるのも嫌なので、思い切って変更することにしました。
変えてみたところ、たかがナンバーの話なので、どうってことありませんでした。これで、ウチの乗り物はすべて愛媛ナンバーです。
6 月 29 日 Let it be
最近、レコード熱が高まっていることは、「カウボーイ・ジャンキーズ」で触れました。
先日、母の様子を見に上京した際、レコード屋を覗いたところ、ビートルズのコーナーに「Let it be」がありました。このアルバム、
既にもっていますが、パチパチ音がするので、盤質がよければ追加で購入したいと思ってました。
これ幸いとばかり購入したものの、結果は大失敗。というのも、どうやら海賊版のようなのです。値段が安いので、何でだろうとは
思ったもののまさかこういうことだとは…。
既に持っている英国版と違い、購入した米国版は見開きになっており、写真が載っています。この写真の画質が粗く、色合いも
不自然なのです。おまけに、ジャケットの角がカットしてあるのに加え、音がこもっています。何ということでしょう。あまりにもひどいので、
何か情報はないかとネット検索したところ、米国版には海賊版が多いとの記述がありました。
いい歳して何やってんでしょ。それにしても、レコードの世界は奥が深いなあ。
6 月 29 日 カウボーイ・ジャンキーズ
最近、カウボーイ・ジャンキーズの「トリニティ・セッション」という LP を毎日のように聞いています。
「いまさらながら」で説明したように、ひょんなことからレコードの音質が向上したので、過去の LP を聞いています。そうしたら、
このレコードの音質が素晴らしいことが分かったためです。物憂げなボーカルといい、録音場所の奥行が分かる臨場感といい、
地を這うような低音といい、あまりの音の良さに聞き入ってしまいました。
この LP が発表されたのは 1987 年です。当時はベストヒット USA を毎週見ており、気に入った曲があると、まったく知らないバンドでも
買ったりしていました。ミリ・バネリ、インディゴ・ガールズ、アリソン・モイエ、シニード・オコナーなど脈絡がありません。この LP も
そうやって買ったものの 1 枚です。でも、自分の嗜好とは異なっていたため、この 20 年間、持っていたことすら忘れていました。
ところが、再び聞いてみるといいじゃありませんか。
あらためて、この LP のことをインターネットで検索してみると意外なことが分かりました。カウボーイ・ジャンキーズは、このアルバムが
ヒットして世に名を知られますが、録音当時はまだ無名だったため、地元のトロント(カナダ)にある教会を 200 ドルで借りて、マイク 1 本で
録音したというのです。要するに、音質を追究した結果ではなく、安くあげるために近くの教会で録音したら、音がよかったということ
らしいのです。
もう一つ分かったのは、オーディオ評論家の長岡鉄男さんが、このレコードを音の良いレコードとして推奨していたことです。私の耳も
まんざらじゃありません。
ここまで知ったら、俄然、カウボーィ・ジャンキーズの音に興味が湧いてしまい、その後にリリースされた CD をネットで購入して
聞いてみました。
残念ながら、「トリニティ・セッション」のような奇跡はおこりませんでした。
6 月 29 日 今さらながら
ステレオに関する問題がひょんなことから好転しました。
問題というのは、LP の音が割れたり、こもったりするということです。
いつの頃からか、LP を聞くと音がこもったり割れたりするようになりました。LP すべてというわけではなく、特に歌もののボーカルが
顕著です。ところが、1960 年代のジャズは、50 年近く前なのにビックリするような音の良さで鳴ったりしていたので、ステレオのせい
ではなく、カビやほこりなど、LP それぞれの固有の問題だと思っていました。とはいえ、音が割れる LP でもレコード盤はきれい
だったりするので、個別の LP の問題というのも半信半疑でした。
ところが、最近、ネットサーフィンしていたところ、電磁波がレコード・プレーヤーの音質に影響するという記事を見つけ、もしやと
思い始めました。
私のオーディオはアンプの真上にレコード・プレーヤーがあります。間は 20 センチくらい空いています。ひょっとして、アンプの上に
プレーヤーを置くというのは電磁波の関係上、ご法度なのではないかと思い、オーディオ関係のページを見ていたとこら、そんな配置は
見当たらないんですね。皆さん、アンプの横にレコード・プレーヤーがくることはあっても、上に配置しているのはありません。
これは電磁波うんぬん以前に、レコード・プレーヤーの設置自体がデリケートなため、別な場所に置かざるを得ないという事情も
あるかもしれません。
そんなわけで、ウチにあった静電気除去用のシートを試しにレコード・プレーヤーの下に敷いてみたところ、何ということでしょう、
音質が向上したのです。
驚いて、LP を何枚かかけてみたところ、偶然ではないことが分かりました。ほかにも音がよくなった LP があるのです。ちなみに、
アンプを購入して、その上にレコード・プレイヤーを配置したのは 2004 年のことです。何と、11 年もこの状態で LP を聞いて
いたのですから間抜けじゃありませんか。
それにしても、その道具が持っている本来の機能を 100% 引き出すのは難しいということが身にしみて分かりました。逆にいえば、
奥が深いということでもあります。
6 月 29 日 お城めぐり
お城といえば天守閣ですが、現存する十二の天守閣のうち、四つは四国にあるってご存知ですか。松山城、宇和島城、高知城、
丸亀城の四つです。
四つのうち、三つに行く機会がありましたので簡単に紹介します。
【松山城】
三つの中では一番規模が大きく、お堀があります。観光客も大勢いて、麓からはロープウェー、リフトが用意されていることから
分かるように、観光化が最も進んでいます。松山城で特筆すべき点は、天守閣だけでなく周辺の建物も残っていることです。天守閣からは、
眼下に松山市内、遠くには瀬戸内海を見渡すことができ、天守からながめていると、気分はもうお殿様。
全国にあるお城の中で外国人からの評判が良いと、テレビか何かで見たことがあります。曲りくねった道を、いくつも門をくぐって登って
いくと、戦略的な意図がよく分かるためです。
お城はさておき、気になったのは、天守閣を一望できるところにスタンバイしている、マドンナ姿の御嬢さん。観光客の皆さんは、シャッター
押すのをお願いしちゃってるんですけど、本当は写真に一緒に収まるためにあの恰好でいるんじゃないのかなあ。
【宇和島城】
町の中心の小高い丘の上にあります。松山城ほどの標高はないものの、うっそうとした木立の中、苔むした階段を上がっていくのは
雰囲気があります。サンダルやヒールのある靴だと登りづらいかも。
丘の上の立地といい、石垣といい何だかマチュピチュのような印象を受けました。行ったことはないんですけどね。
観光ボランティアのおじさんに天守閣の説明をしていただいたら、みかんをいただいてしまいました。こちらは、天守閣の近くに売店などは
なく、今回訪れた三つの城の中では一番商売っ気がなく、好感が持てました。
【高知城】
町の中心、県庁の背後にそびえる丘の上にあります。公園になっているため、比較的登りやすく感じます。
石垣の下から見る高知城はそこそこの大きさに見えます。しかし、天守にいる人の姿を見ていただくと分かるとおり、天守閣はこじんまり
しています。上に登って、天守閣の一階から見ると、なおさら小さく見えます。
それから、天守からの眺めですが、もともとの立地場所が低いせいか周りにあるビルが間近に見えてしまい、松山城ほどお殿様気分は
感じられません。
高知には別の用事で行ったついでによりました。ついでによったからいいようなものの、ウチから 3.5 時間もかけてわざわざ見に行くことは
ないかなあという印象です。でも、高知市内には坂本竜馬の字がいたるところに目につくので、竜馬目当てで来た方がたくさん訪れるのかも
しれません。
四国にきて感じたのは、古い町並みがたくさん残っていることです。現存十二城のうち、四つが四国にあるのも、きっと同じ理由からでしょう。
6 月 29 日 肱川カヌー
ディスカバー愛媛の第二弾として、ウチから車で 50 分の肱川上流にカヌーをしに行ってきました。
カヌーといえば、20 歳の頃、多摩川上流の御岳で少し練習したことがあります。しかし、「またいつか」と思いながら、それ以来カヌーを
したことはありませんでした。幸い、子供ができたので、いずれ子供と一緒にカヌーに乗れたらと思っていました。しかし、東京近郊で
カヌーに乗るのはハードルが高く、子供があまり興味を示さなかったこともあって実現しませんでした。
ところが、愛媛に来てあっけなく夢が実現しました。子供がカヌーに乗ってみたいというのです。本人に興味があるなら、後は乗れる場所を
探すだけ。
ありましたよ。隣の大洲市の肱川水系はカヌーが盛んなところで、カヌーを体験できるところが複数あります。早速、下見の上、天気予報と
相談しながら行く日を決めました。何事も最初の印象が大事ですからね。以前、横須賀に海水浴に行ったときのように、最初に悪い印象を
もたれたらたまりません。
四国でカヌーと言えば四万十川が有名です。肱川はその影に隠れてさほど有名ではありません。また、上流にダムがあるせいか、
カヌー愛好者にもあまり人気がないようです。でも、30 年ぶりに乗るおやじと初めて乗る子供には十分なロケーションです。
乗ったところは川が合流している部分です。流れは穏やかながら、多少、急な箇所もあります。久しぶりなので、最初は勝手が
分からなかったものの、暫く漕いでいるうちに慣れてきました。子供はさすがに覚えが早く、スイスイ漕いでいます。川原では、アオサギが
鳴き、深い淀みでは大きな鯉がカヌーの下を横切っていきます。まるで桃源郷のようです。
久しぶりのカヌーに加え、子供と一緒のカヌーを満喫しました。
とここまでは美しい光景ですが、コックピットに水が入ってしまい、パンツまで濡れるというハプニングがありました。スプレーカバーという
コックピットを覆うカバーがついていなかったためです。どうやって乾かしたかはヒミツです。
6 月 29 日 潮干狩り
現在、K 島家ではディスカバー愛媛を展開中です。その一環として、ウチから車で 15 分の通称「ねずみ島」に潮干狩りに行ってきました。
ゴールデン・ウィークなので多少人がいるとはいえ、いるのは地元の人ばかり。
潮干狩りというと、潮がひいた砂浜で行う印象があります。ところが、ここは砂浜ではなく、磯です。最初、下見に来たときは、どうやって
とるのだろうと思いました。地元の方のやり方を観察した結果、ごろごろした石をどかしてからその下の砂地を掘ることが分かりました。
行くのを渋っていたウチの子も、来てみたらご覧のとおり。熱中して掘っています。とはいえ、漁師さんが貝を放流している都会の
潮干狩り場とは異なり、ここはまったく自然な場所なので、そうそう簡単に取れるわけではありません。
私達は 2 時間弱でこれだけしか取ることができませんでした。
すぐ来れる場所なので、また来ることにしましょう。
6 月 29 日 転校
引越しに関して一番心配したのは子供のことです。もともと、今回の引越しは、家内の両親が高齢になったため、それをサポートするのが
目的です。幸か不幸か、私の両親は手がかからない状態になったので、今度は家内の両親の番というわけです。
家内の両親はまだ 80 歳になるかならないかくらいなので、未だお元気です。だったら、もう少し先に引越せばいいじゃないと思うでしょ。
でもね、私の両親を介護した経験から、80 歳を超えると一段、85 歳を超えるとさらに一段と段階的に弱っていくことは明らかです。これは、
ウチの子の高校入試の頃とちょうど重なります。高校に入学したら転校は困難ですし、高校入試直前も避けたいものです。中学も途中から
転校するよりも、小学校から中学校にあがるタイミングで入学すれば、と考えていったらこの時期になったわけです。
比較的とけこみ安いタイミングとはいえ、ウチの子には知り合いが一人もいない状態であることには違いありません。入学式の前後は、
それはそれはブルーな、学校に行くのも嫌そうな様子で、終わったら一目散に帰ってきてました。親子ともども、この頃が一番辛い時期でした。
子供が新しい環境に早く慣れてくれるのをひたすら待つしかありません。
そんな心配も学校が始まって 3 日あたりから好転してきました。帰ってくるなり、「友達ができた」と叫び、翌朝からは友達が迎えに来るように
なったのです。
そこからは日増しに学校に慣れてきて、今では、「学校面倒臭い」とかブツブツ言いながらも普通に登校しています。まだ予断を
許さないものの、一番心配した段階を乗り越えたようです。
5 月 7 日 安い地元産品
スーパーを覗いて物の値段を見ていると、全国規模で販売されているナショナル・ブランドについては東京と同じか若干高めです。
やはり競争が少ないからでしょうか。野菜や魚についても、思ったほど安くありません。
ところが、行動半径が広がるにつれ、野菜、魚、みかんについては新鮮で安いものが手に入ることが分かってきました。
野菜は近所のスーパーで地元でとれた野菜を小量ですが売っており、これが安くて新鮮です。また、隣町の産直市場に行くと、
たらの芽やぜんまい、筍などの山菜を含め、目を疑うような安さで売っています。
魚も近所のスーパーや近くの魚屋に行くと新鮮な魚が入ることが分かりました。イカもスルメイカ以外に 3、4 種類あります。私が
気に入ったのは「ほうたれいわし」といういわしの幼魚です。地元の方は雑魚扱いしていますが、よそ者の私にはおいしく、てんぷらに
すると最高です。毎日「ほうたれいわし」と連呼して、家族、特に肉好きの息子に嫌がられています。
この写真の食材、たらの芽が \100、ほうたれいわしが \280 です。
みかんは、町のいたるところで無人販売されています。ちょっとした家の軒先に 1 袋 \100 から \200 円で置いてあります。みかんというと
冬の印象があります。しかし、こちらでは、この時期に採れる品種もあり、いつの時期でもみかんがある印象です。
ウチの近所の無人スタンド
ウチの子には地元の野菜、魚、みかんで大きくなってもらうことにしましょう。
5 月 7 日 バイクの引越でトホホ
家財はトラックに積み込み、車は愛媛まで自走です。ところが、バイクは規則でトラックに積めないとのこと。引越し会社に頼んでも、
結局、別の会社が運ぶということだったので、自分で安いところを選んで依頼しました。東京都府中市のバイク屋に持ち込み、松山市の
指定箇所まで運んでもらい、そこに取りに行く形式です。ドア・ツー・ドアではないものの、松山から自走するくらいわけないですから。
ところが、思ったとおりにいきませんでした。
移動先でバッテリーがあがったりしないよう、発送する直前には、ある程度の距離を走ってバッテリーに充電をしました。バイクが
着いたと連絡があったので松山まで特急に乗って取りに行きます。八幡浜から松山までは特急で 50 分です。
バイクの保管所に着いて、一通り目視点検し、エンジンをかけてみます。セルを回してみると、キュルキュルキュルと回ります。おお、
バッテリー充電しておいてよかった。でも、いくら回しても爆発する気配がありません。もともと、この RVFC というタイプのエンジンは
エンジンをかけるのに難があり、乗ろうとしてももかからなかった前科があります。まさか、このタイミングで起こるとは。
押しがけをしてみますが、ウンともスンともいいません。前の XJ は重かったけど、おしがけをすればかならずかかりました。CBX は
軽いけど、押しがけでろくにかかった試しがないんですよね。
結局、エンジンはかからずじまい。八幡浜までの輸送を依頼して、また特急でトボトボ帰りました。
後日、トラックで陸送してもらったバイクを見ていたところ、キルスイッチがオフになっていることを気づきました。もしやと思いネットを
検索したところ、「80 年代のホンダ車にはキルスイッチがオフでもセルが回るものがある」という書き込みを発見しました。
何とですかー。
運送時点でどなたかがキルスイッチをオフにしたことに私が気付かずに、いつもの手順でセルを回し続けた結果、プラグがかぶった
というのが、エンジンのかからなかった理由のようです。松山に取りに行った際は、キルスイッチがオフだったらセルは回らないだろうと
思い込んでいたので、プラグを外してみることもしませんでした。
バッテリーを充電し、プラグを磨いてからエンジンをかけてみると…、かかりました。
勉強代として松山から八幡浜までの輸送費は痛かったものの、CBX250RS のキルスイッチの仕組みがよくわかりました。何で
キルスイッチがオフでもセルが回る仕組みになっているかはよくわかりません。
5 月 7 日 3 月は宿泊も大変
今回、東京から愛媛に荷物に到着するまで何日もかかるため、私達家族は車でのんびり移動しました。でもね、またまた 3 月末の
移動ということで宿探しに苦労することになりました。
ちょうど引越した日が 3 月最後の金曜日だったため、宿でいうところの休前日から移動を開始したことになります。おまけに春休み
期間中唯一の土日ということもあり、どこも宿がいっぱいなのです。まだ 1 週間あるからとたかをくくって電話してみたところ、三島、
大津、淡路島、徳島のようなさほど観光地でもないような町でも「あいにくその日は既に満室で…」と言われてしまう始末。
結局、泊まったのは、想定もしていないような町でした。
繁忙期にあたると料金は高くなるし、選択肢はなくなってしまうのは引越しも宿泊も同じだということがよくわかりました。
ちなみに、三島では高校のバレーボール大会があるからとの理由で断られたのですが、泊まった下諏訪の宿にもバレーボールの
高校生達がいました。高校バレー恐るべし。
5 月 6 日 引越し業者選びは大変
業者選びは大変でした。
年末年始に八幡浜に帰省した際、住む家を決めてきました。次は引越し会社選びです。まだ 1 月中旬で 3 月末の引越しだからと
思っていたら大間違い。甘かったことが分かりました。3 月末は転勤や入学、就職などで移動する人が多い繁忙期であることと、
東京-愛媛というルートが、主要ルートではないためです。これが原因で思わぬ苦戦をすることになりました。
最後に引越しをしたのは、子供が生まれた直後なので、約 10 年前です。その時は市内での引越しでしたので、1 日で、料金も
\10 万円強で済みました。今回は荷物が増えていることだけでなく、移動距離が 900 キロ近くあります。前回の 3、4 倍で済むことを
期待しながら、3 社に見積もりをお願いしました。
A 社: 業界大手。その場で 3 桁の見積りを提示してきました。さすがに 3 桁は想定していませんでした。ビックリ仰天です。
B 社: 業界大手。A 社ほどではありませんが、3 桁に近い金額をその場で提示してきました。
C 社: 前回お願いした引越グループです。こちらの想定に近い概算額を口にしながら、後日見積りをもらうことにしました。
当然、C 社に期待していました。前回の引越しに不満はありませんし、金額が一番リーズナブルだからです。ところが、見積りが
なかなか出てきません。提示すると言った期日を過ぎても出してくれないのです。電話してみたものの担当者の方と直接話すことは
できませんでした。
これじゃいけないと思い、他社にも見積もりをお願いしようとしたところ、「愛媛方面の引越しはもういっぱいです」と意外な答え。もともと、
長距離輸送のトラック便が少なく、それが既に埋まったというのです。
まだ 1 月なのに、ここにきて事の重大さに気づきました。慌てて、「引越社」に見積もりをお願いしました。
アリさんマークの「引越社」は業界大手なので、A 社、B 社と同様の金額を提示するのではと恐れていたものの、B 社よりも低い金額
でした。当初の想定よりも高かったのですが背に腹は替えられず、即決です。各社とも大企業から予約枠を押さえられており、
個人の引越しは残りの枠内で奪い合いになると聞いたからです。
安いのにはわけがあり、発着の間に数日間が空くのです。だが、しかーし、そんなことを気にしている場合ではありません。
結局、「引越社」を選択したのは正解でした。荷物が壊れることも殆どなく、到着が遅れたり、深夜に荷卸しをしたりすることもなく、
無事に引越しできたためです。
5 月 6 日 引越しました
3 月末に住み慣れた東京から、家内の実家のある愛媛県八幡浜市に引越しました。しばらくは、引越し関連についての話題です。
2 月 26 日 プロバイダー変更
このホームページは OCN というプロバイダーの場所を借りて公開しています。ところが、2 月末をもって OCN がホームページ・サービスを
停止するため、新たなプロバイダーに変更することになりました。移転先の URL はこちらです。
http://www.kshima.sakura.ne.jp/
OCN は昨年 11 月にブログ・サービスも停止しています。理由は公表していないので分かりませんけど、推測するに、ゴミサイトが
増えてディスクを圧迫されているのが理由でしょう。ゴミサイトというのは広告収入目的で、ヒット率向上のみを狙っているサイトのことです。
Google などで検索して調べものをする際、上位にきたサイトを開いたら、リンク先のみ羅列してるようなページを見たことありませんか。
これがゴミサイトです。
停止の理由はさておき、OCN については失望することしかありません。メールで使用している OCN も、昨年、先方の都合でサーバーを
交換した際に何日か接続できなくなり、大変迷惑しました。
OCN については、思いだしたら他にも腹が立つことがあります。けど、もう書くのはやめます。
2 月 26 日 団地ともお
少し前から NHK で放映していた「団地ともお」を見ていました。最初はよくわからなかったものの、見ているうちにじわじわと面白さが
分かってきました。それに加えて、団地の雰囲気も懐かしく感じられました。というもの、私も団地育ちなためです。住宅公団、都営、
企業の社宅が集まった、結構大規模な団地でした。
小学校、中学校と同じ団地に住むメンバーが一緒だったので、団地住まいを「恥ずかしい」と感じたことはありませんでした。ところが、
高校でよその地域の人と混じった時に、誇るべきものではない雰囲気を感じました。
でもね、今にして思えば、団地内で暗くなるまで遊んだ小学校 5 年、6 年頃が一番楽しかったんですよね。団地という特性上、当時の
友達は今やバラバラになってしまっており、なかなか会うことはできません。それでも、会えば、昔通りのあだ名で呼んだり呼ばれたりして
心が休まります。どこの学校行ったとか、どこの会社に入ったとか、そんなこと関係ないんですよね。
「団地ともお」を見ていると、そんな昭和の子供時代を思い出してしまうので、楽しいのかもしれません。
2 月 26 日 義理チョコ
2 月 14 日といえばおじさんにも分かるバレンタイン・デーです。何と、ウチの子の同級生から電話がかかってきたじゃありませんか。
子供はというと、「何だろうなあ」なんて冷静を装っていますが、舞い上がっているのがミエミエです。
ウチまで届けていただいたその子の様子からすると、袋にいっぱいお手製のチョコを入れて、義理チョコを配っていたようです。
「サンタクロースかよ」と子供は毒づいていましたが、義理でも嬉しいですよね。聞けば、中学受験をした女子で、年末に湯島天神で買った
合格祈願鉛筆をあげたことに対するお礼だった
みたいです。
だから、もっとたくさんの女の子に鉛筆を配っとけって言ったのになあ (「そういう問題じゃないだろ」とカミさんの突っ込み)。
2 月 26 日 1995 年
1995 年といえば、自分の運の良さがわかった年です。その理由は、阪神大震災とサリン事件にあります。
1995 年 1 月 15 日 (土) の晩は愛媛から出てきたカミさんと神戸の三宮でデートをしていました。翌日、東京に帰ってきて、月曜の
朝テレビをつけたら黒煙があがっている神戸が映っていました。
その 2 カ月後の 3 月 20 日 (月)、通勤途中に乗り換えのため、茅場町駅で東西線を降り、日比谷線のホームに上がっていったところ、
駅員から「火事です、逃げてください」と言われ、慌てて地上に逃げました。煙の匂いがしなかったのに火事とは変だなと思ってました。
会社は築地にあり、茅場町から 2 つ先の駅のため、新大橋通を築地に向かって歩き出しました。電車はいつ復旧するか分かりませんからね。
このときの気分は「月曜の朝からついてねえなあ」です。
八丁堀を超えたあたりでしょうか、道路が封鎖され新大橋通りを車が通行できなくなっており、そこを警察の緊急車両が拡声器で何かを
叫びながら走って行きました。この時、何かただならぬことが起こっているのが分かりました。警察官の声が上ずっており、何を
いっているかよく分からないためです。通常、緊急車両がら発せられる声は落ち着いた声です。ところが、その時は気が動転している
としか思えない声でした。訓練を受けているはずのプロが動転しているというのはただごとではありません。
車の通らない道路を築地に向かって歩いていくとヘリコプターが何機も低空をホバリングしているのが見えてきました。音も尋常では
ありません。
築地本願寺の前では道路の真ん中に消防車が囲むようにしてテントが張られていました。
大事件が起きているらしいと分かったのは、会社に着いてしばらくたってからのことです。
阪神大震災は 2 日前、地下鉄サリンは 10 分くらいの差で巻き込まれずにすみました。さすがに、3 か月の間にこんなことが 2 回も
あると自分の運の強さを感じるようになりました。
だが、しかーし、その 3 か月後には (「京都の美人姉妹」の言葉に騙されて) カミさんと結婚してしまいました。さすがに私の運も
3 月の時点で使い果たしてしまったようで、1995 年で 3 回目の厄災?を避けることはできなかったのでした。
2 月 26 日 なぜ小声?
「何がいるんですか?」
「カワセミです。とはいっても、あいつらは人に慣れているので、普通にしゃべっても大丈夫なんですけどね」
三島で源兵衛川沿いを散歩しているときに会った、バード・ウォッチングのおじさんとの会話です。何人かのおじさんが望遠鏡やカメラを
構えてみていたので、邪魔しちゃいけないと小声で尋ねたところ、返ってきたのが上の返事です。どうしても、鳥を驚かしちゃいけないと
思うじゃないですか。それで小声で話したわけです。
「みなさん、小声で聞いてくるんだけど、普通にしゃべっても大丈夫なんですよ」とはおじさんの弁。
源兵衛川はかわせみ、せきれい、青さぎなど、街中にもかかわらず野鳥がたくさん見ることができ、うらやましい環境でした。
2 月 26 日 サボテン復活?
左の写真は一昨年 11 月のもの。右は昨年 12 月のものです。大きさが違うのが一目瞭然です。
昨年 4 月に植え替えようとしたところ、根元からちぎれてしまい、結局ダメになりました。根が裂けるようにちぎれたので寿命なのでしょう。
ウチに来てから約 20 年ですから。だが、しかーし、ある方からいただいて、今ではその方の形見となってしまったので、寿命とはいえ、
そう簡単に諦めるわけにはいきません。
一昨年、芽摘みをした際、ちぎった芽を捨てずに鉢にさしておいたのを思い出し、それを昨年 4 月から大事に育てたのが右の状態です。
幸い、ぐんぐん成長して花芽をつけるまでになりました。
このまま大きくなってくれるといいなあ。