日々雑感(2023)         日々雑感トップ


日々雑感(2024)


12 月 20 日 映画「侍タイムスリッパー
当初は洋画「ラブアクチュアリー」を見に行く予定でした。ところが新聞のインタビュー記事を見て気になっていた
「侍タイムスリッパー」も、同じ映画館でほぼ同じ時刻に見られることをカミさんに伝えた結果、同じものを2回見るよりも
冒険しようとの返答。結局、「侍タイムスリッパー」を見ることに決定。

見た結果はあたりでした。自主制作映画で予算がないせいか、知らない俳優さんばかりだし、時代考証に怪しいところは
あるけれど、それを補ってあまりある脚本の面白さ。途中のエピソードから俄然、話に引き込まれ、最後の殺陣の
シーンでは緊張感のあまり手の平に汗がにじみました。

映画好きの監督の書いた脚本に、俳優がほれこみ、東映京都撮影所の関係者がほれこんだ熱が観客に
伝わってきます。

面白かったといっても、傑作、名作の類ではありません。でも、映画館の予告編で、名の通った俳優を主演に、
これまた有名な監督がとった作品が大々的に宣伝されているのを見ると、このような小品を応援したくなります。

家に帰ってネットでの情報をまとめると、監督は本当の映画好きのようです。その監督の書いた脚本は面白かったものの
プレゼンテーションに失敗して京都映画企画市のコンペに落選。それを見ていた東映京都撮影所の関係者が監督を
呼び出して、やる気があるなら協力すると意思を表明。一流の職人さんを揃えました。
その顔ぶれを見た役者も、もともと脚本が面白い上にそこまで環境が整っているならとやる気倍増。監督のためならという
関係者の思いが映画のすみずみにまで反映されているように思います。

撮影中は上映館も決まっていなかったのに、池袋のシネマ・ロサでの単館ロードショーを皮切りに、口コミで話題が
話題を呼び、公開からわずか一か月で全国ロードショーになりました。恐らく私は遅れてきた観客ということになります。
Google で検索しても、YouTube で検索しても驚くほど多くの方が「侍タイムトリッパー」のことを熱く語っています。

最初の公開は 8 月。今は 12 月だというのに、全国各地でまだ上映されています。是非、ご覧ください。

12 月 20 日 今治タオル
若い知り合いにお子さんが生まれたので出産祝いを送ることにしました。出産祝いの場合、だいたい、よだれかけとか、
お風呂あがりようのタオルとかを送っています。



早速、松山のデバートに行きます。選ぶ商品の要件は、@今治タオルであること、Aお子さんの名前を刺繍で入れられる
ことの 2 点です。ベビー用品売場で尋ねたところ、@はあるがAはできないとのこと。しかし、店員さんは、別フロアにある
「タオル美術館」というショップならAができるかもしれないと言います。

それではと、店員さんにお礼を言ってそのショップに向かいます。ありましたありました。希望する商品に刺繍も入れられる
とのこと。それに決めて、発送伝票を書きながら私が「愛媛から送るんだからやっぱり今治タオルですよねー」と言った
ところ、店員さんがおそるおそる返してきたのは「お客様、こちらの商品は中国製ですけど大丈夫ですか?」
という驚くべき言葉。

事情を確認したところ、今治タオルを製造しているタオル・メーカーの製品ではあるけれど、中国工場で製造したもの
なので今治タオルのタグはつかないと言います。

なんとですかー。@の条件を満たしていないことが分かりました。危ない危ない、愛媛から中国製のタオル製品を
送っちゃうところでした。中国製であることを知らずに今治タオルだと思い込んじゃう人がいるんじゃないかなあ。
なんだか釈然としないぞ「タオル美術館」。

結局、最初の店に戻って今治製の商品を送りましたとさ。

12 月 20 日 バイク戻る
ええそうなんです。バイク、また要修理箇所が見つかり、10 月末から入院してました。異常に気がついたのは、
エンジンのオイル漏れ修理が終わった 8 月のこと。

何だかフロント・ブレーキの手ごたえが弱いんですよね。ブレーキ・オイルに空気が入ったことを疑って、オイルを
交換してもらいましたが、1 週間たったら元の木阿弥。マスター・シリンダーは 2019 年に交換しているため、
怪しいのはブレーキ・ホース。純正部品は既になくなっているため、社外品をオーダーすることに。

部品は 9月中にきたものの、バイク屋さんの多忙が理由で、入庫したのは 10/12。様子を見に行ったら、
カムチェーン・テンショナーもへたっているというので交換することに。結局、戻ってきたのは 12 月に入って
からです。

2021 年からエンジンが不調になり、それがひと段落したのが 2024 年 2 月。1983 年製ですから約 40 年前の
バイクです。車齢を考えたらしょうがないのかなあ。


11 月 18 日 足りない足りない
何が足りないかというと、みかんです。八幡浜はおいしい魚とみかんが売りものなのに、今年はみかんが足りません。



9月下旬から極早生の収穫が始まり、11月は早生の収穫が本格化して、みかん満載のトラックが行き交う時期です。
でも今年はあまり見かけません。みかんが足りない理由は、収穫数が減る裏年であることや、猛暑による影響で
色づきが悪くて収穫できないこと、カメムシ被害で商品にならないことが挙げられています。

毎年、農協直営の直売所から知人、友人にみかんを送っているので、今年も行ったところ、山積みされているはずの
みかんがなくて驚きました。直売所でも、売りものが足りなくて困惑している様子。

八幡浜市はふるさと納税の返礼品にみかんを入れています。そのため、返礼品が優先された結果、直売所まで回って
こないというのがカミさんの見立て。人口規模では愛媛県で11番目の八幡浜市、ふるさと納税では
松山市を抑えてトップです。

ちなみに、カメムシ被害は、温暖化により越冬する個体が増えたことが一因です。したがって、猛暑もカメムシ被害も
地球温暖化によるものと言えそう。実際、被害がでているのは愛媛のみかんだけでなく、東北ではリンゴに
被害がでていると聞いています。大丈夫か日本の果樹?

11 月 18 日 映画「2度目のはなればなれ
何の先入観もなしで見たせいか、思った以上に良い映画でした。老人映画、戦争映画、いや恋愛映画とも言えそうな
この映画、多面性があるのは良い映画の条件です。

イギリスの海沿いの老人ホームで暮らす、バーニーとレネ。第二次大戦でノルマンディー上陸作戦に参加した
バーニーは、老人ホームを抜け出し、一人でノルマンディー上陸の記念式典に。それを影でサポートするレネ。
てっきり、どちらかが徘徊しちゃう話かと思っていたので、想定外の展開でした。
原題は The Great Escaper。かつての名画「大脱走(The Great Escape)」にちなんだのは一目瞭然です。

想定外といえば、ノルマンディー上陸作戦の記念式典のこと。日本からは遠い地のことなので耳目にしませんけど、
日本でも 8/6、8/9、8/15 がくると何かと式典が行われるように、かの地ではノルマンディー上陸の日も
特別な日なのでした。

私の両親が入っていた特別養護老人ホームは、母のような徘徊歴のある利用者がいるため、出入りは厳しく
監視されており、映画のように本人の意志で散歩に行くような自由はありませんでした。散歩するには家族同伴で
連れ出すしかありません。そういう現実を知っているので、これは外国の話だからなあと思いつつも、あこがれを
感じる内容でした。

老人映画というと、どよんとしがちです。しかし、この映画は希望の持てる映画でした。恐るべしイギリス映画。

11 月 18 日 皿ケ嶺
今年は猛暑だったのに加え、なかなか温度が下がりません。朝、結露するくらい温度が下がることが何度かあった
ものの、その後、上がってしまい、11月中旬というのに日中の気温は20℃を超えています。おまけに天候が
安定しません。秋というと、好天が続く印象があります。でも、今年は好天が続かず、曇天が多い印象。

こんな天候のため、なかなか山登りに行けません。春に東赤石岳、寒風山〜笹ヶ峰と長距離を歩けたことに自信を得て、
秋にも登りたい山がありました。でも、こう天気が悪くちゃいけません。仕事も忙しいしね。

といった理由でズルズル登らないでいると、62歳の秋は終わってしまいます。体力維持のためにも山に登らないと
いけません。

直前に季節外れの豪雨が降り、観測史上最大を記録した松山では冠水もありました。したがって、土砂崩れで道が
通れなくなっている可能性のあるところはやめて、比較的安全そうな皿ケ嶺に行くことに決定。

皿ケ嶺、松山に住んでいたら子どもの頃には一度は登る山だそう。私はというと、2021年に東温アルプスに登った際も
含め、2回登っています。とはいえ、前回は一般的なルートで登らなかったので、今回登るのはメイン・ルートである、
風穴の登山口から。



これが登山道入り口にある風穴。夏になると冷気が上るのが白く見えるそう。さすがに11月では見られません。ちなみに、
富士山のふもとでは風穴を「ふうけつ」と呼ぶのに対し、皿ケ嶺では「かざあな」と呼んでいます。ややこしい。



整備された登山道。登る人が多い証拠です。



この気候ですから紅葉は望めません。東北の燃えるような紅葉がなつかしい。



約1時間で竜神平に到着。かつては湿地だったようです。今じゃ草原になっています。



竜神平から 30 分で山頂に到着。標識には 1,200m とありますが、国土地理院の地図では 1,278m になってます。
歩いている時間の感覚からすると、東京の高尾山なみですね。



山頂直下の伐採地から一望できるのは松山市。

おにぎりを食べて、下山したらまだ 12 時前。安全、お手軽ハイキングでしたけど、私みたいなへなちょこオヤジでも
ちょっと物足りない感は否めません。もう少し長く歩く山がいいかなあ。 →こう言ってられるのも今のうち。


9 月 30 日 南海トラフ注意報
更新が滞っていたのは暑くて出歩かなかったため、もともと 8 月はカミさんの実家のお手伝いがあることから出歩け
ません。今は加齢のため、1 日の作業なのに、それに向けて体調を整えたり、その後の回復に時間を要したりする
ので、前後何日かは慎重になります(あまり言いたかないけど)。
それが何日かあると、8 月はどこにも行けないというわけ。ビバ加齢。

それに加え、今年は 8/8 に宮崎沖で地震が起きた直後に南海トラフ注意報が発令されたため、なるべく遠くに行かない
ようにしていました。何せ、八幡浜は 10m の津波がくる想定ですし、伊方原発の 20km 圏内にあります。なので、
否が応でも注意報は意識せざるを得ません。

幸い今回は何もありませんでした。それでも、家具転倒防止用の突っ張り棒を買い増ししたり、お風呂に水をためたり
してました。準備が空振りになってもいいから、南海トラフ地震、こないといいなあ。

9 月 30 日 高石ともや
8/19、新聞の訃報記事で高石ともやが82歳で亡くなったことを知りました。高石ともやは、K島が高校生の頃から聞いて
いるナターシャセブンのリーダーです。残念ながら訃報では「受験生ブルース」に触れたものはあっても
ナターシャセブンに触れたものはありませんでした。しかし、自分の経験上、「受験生ブルース」の頃のファンよりも、
ナターシャセブン以降のファンが圧倒的に多いことを知っています。



実際、訃報の翌日、K島の拙いホームページを見たというナターシャセブン・ファンの方からメールをいただきました。
今でも、同じような方がたまにいます。

社会人になりたての 20 代後半の頃は、有楽町の読売ホールで行われていた「年忘れコンサート」に行くのが楽しみで、
コンサートの最後には皆で「街」を歌ったものでした。その後、ナターシャセブンのメンバーだった坂庭省吾、城田じゅんじ
の方に関心が移るにつれ、「年忘れコンサート」にも行かなくなりました。

最後に高石ともやを見たのは、2002 年に浅草公会堂で行われたナターシャセブン再結成コンサートです。奇しくも、
最後にナターシャセブンを見たのが、高石ともやの見納めになってしまいました。

高校時代にナターシャセブンと出会ったおかげで、聞く音楽の軸ができ、そこから幹を聞いたり、枝葉を聞いたりしながら
今にいたります。現在でも音楽を楽しめているのは、高石ともやのおかげです。

ありがとうございました。安らかにお休みください。

9 月 30 日 広島プチ旅行
今年は大学院入試があったため、息子の帰省が 9月にずれこみました。かねてから宮島に行きたいと聞いていたので
旅行を計画。台風や秋雨前線の影響が心配でしたが、幸い、天候に恵まれました。

行程はこんな感じ。海路と陸路を組み合わせて、瀬戸内を右回りに回るコースです。

    愛媛県松山市〜山口県柳井市(フェリー)
    柳井市〜宮島〜広島市
    広島市〜呉市〜下浦刈島〜上浦刈島〜外島〜大崎下島〜岡村島(とびしま海道)
    岡村島〜大三島(フェリー)
    大三島〜伯方島〜大島〜今治(しまなみ海道)

    (とびしま海道、しまなみ海道の位置関係については、こちらをご覧ください。)

愛媛に暮らして、早や 9 年。何となく、島なみ海道から山口県柳井市あたりまでの範囲に島が多く、瀬戸内らしい
多島美を味わえるのではないかと思うようになりました。特に、呉から橋でつながっているとびしま海道は、どん詰まりの
岡村島に橋がなく、通り抜けることができないため、開発されていない印象があります。それを検証したいという
思惑もあります。



山口県柳井を目指して進むフェリー



鏡のように雲を写す瀬戸内海



振り返れば島、島、島



厳島神社の鳥居

厳島神社。思った以上の観光地でした。宮島が近づくにつれて道路が渋滞し始め、宮島に渡るフェリー乗り場から先は
外国人観光客だらけ。人疲れしました。
干潮の時間帯だったため、完全に海につかった鳥居を見ることはできず、また、島に着いたのが 16 時過ぎだったため
宝物殿も見られませんでした。宮島の印象は、京都の清水寺、浅草の浅草寺、成田山新勝寺に重なります。とにかく
観光地化されています。
神社としては、大三島にある大山祓(おおやまづみ)神社の方が厳島神社よりも格式が高い上、辺鄙な場所にあるとは
思えないほど貴重な甲冑や刀が置いてあり、神秘性を感じるため、厳島神社より好きかも。



厳島神社から見た本州

丘陵地をびっしり埋める住宅に驚きました。東京日野市あたりの住宅地を思わせる光景です。他のところでも
感じましたけど、広島は大都会です。その大都会に人を供給するため、近隣の市町村には山裾まで家が建っている
ことが分かりました。



広島といえば平和記念公園

以前来たのは大学 4 年のとき。40 年位前の西日本ツーリングのときです。どこにバイクを停めたのかまったく記憶が
ありません。
40 年の間に「この世界の片隅に」のような映画ができたりして、平和記念公園での説明内容も大分更新されている
ことが分かりました。特に、平和記念公園のあった場所にも町があったことが分かる地図が展示してあり、その町並み
が「この世界の片隅に」の中で再現されていたことを知るにつけ、広島の人の、後世に記憶と記録を残すことへの強い
思いを感じました。

また、公園に、修学旅行生や外国人観光客が大勢いるのも好印象でした。息子を含めた、これからの若い世代の方、
世界各地の方に広島の過去と現状を知ってもらうのは平和のために有益だと思うからです。40 年前よりも良い方向に
進化した公園を見ることができたので、広島に来た甲斐がありました。



安芸灘大橋を渡ってとびしま海道へ

映画「ドライブマイカー」で主人公が宿との行き来に渡った橋です。「写真、写真」と騒いでいる間にわたり終えてしまいました。



友人から教えてもらった蘭島閣美術館

Jリーグのサポーターの友人から教えてもらいました。サンフレッチェとの試合を見に来た際、ここまで足をのばしたそう。
そうそう簡単に来れない場所なので、その行動力に驚きました。でもね、定休日で中は見ることができず、残念。




上浦刈島の道の駅「であいの館」で見たBMW R69(多分)

こういう渋いバイクが似合うおっちゃんになりたかったなあ。もう遅いけど…。



岡村島に渡るフェリーから見た四国(愛媛)

普段、広島や山口の方を見ることはあっても、四国を見ることがないので新鮮です。

もろもろの事情で二泊三日の予定を一泊二日に切り詰めたため、錦帯橋(山口県岩国市)や美術館、伝統的建造群を
見ることができませんでした。特にとびしま海道は魅力的なため、また行ってみたいなあ。

7 月 31 日 K2遭難

梅雨があけてから晴天が続いています。天気が良いとはいえ、こう暑くては熱中症が心配で山に登る気になりません。
涼しい部屋でネットのニュースを見ていると、最近、山岳遭難のニュースがよく目につきます。というか、自分が見てるから
その類のニュースが優先的に表示されているだけかもしれません。

そんな中、7/28 にパキスタンの K2 で日本人登山者2名が滑落という第一報が入りました。お名前を見て驚いたのは、
お二人が平出和也さんと中島健郎さんだったこと。登山界のアカデミー賞と言われるピオレドール賞を平出さんは3回、
中島さんは2回受賞している世界屈指のクライマーだったからです。

NHKで放映していた「グレートトラバース3」は、毎回「凄いなあ」と思いながら見てました。実際は、主人公の田中陽希さん
以上に撮影チームが凄いことが分かったのは、平出さんが入っていたからです。「グレートトラバース3」の総集編で、
印象に残った山を問われた平出さんが、「四国の山の稜線は北アルプスにも劣らない」と言ってくださったのは、四国に
住む者として誇りです。そんな平出さんの歯車は、以前、一緒にピオレドール賞を受賞した谷口けいさんが北海道で
遭難して以降、狂ってしまったように見えます。

一方の中島さんは、平出さんと共に三浦雄一郎さんのエベレスト登山に撮影チームとして参加したり、「世界の果てまで
イッテQ」という番組でイモトアヤコさんの登山挑戦をサポートしたりしていました。平出さんが見るからに凄そうな
登山家だったのに対して、中島さんは穏やかな関西弁とあいまって、ひょうひょうとした印象があり、凄さを感じさせない
ところが好きでした。

登山家・探検家には43歳の壁というのがあり、多くの登山家・探検家が43歳で亡くなっています。植村直己さんも、
前述の谷口けいさん、愛媛出身の冒険家・河野兵市さんもそうです。毎年のように北極探検を行っている作家の
角幡唯介さんによると、経験の拡大に肉体が追いつかなくなるのが43歳ではないかと言っています。

二人が今回挑んでいたのはK2 西壁の未踏峰ルートです。未踏峰だからこそ挑戦したのでしょう。高みを目指すのは
素晴らしいことです。それでも、素人からすると、挑戦しないという選択肢はなかったのかなあと思います。
ピオレドール賞を受賞した日本人登山家でも、山小屋の管理者となり、地道に一般登山者のサポートをしている方も
います。50、60 歳になっても山登りを続けるお二人を見たかっただけに、残念でなりません。


7 月 31 日 交響曲第6番「田園」
松山でNHK交響楽団がベートーベンの「田園」を演奏するというので聞きに行ってきました。N響が松山に来ることは年に
1 回しかありません。また、ベートーベンの第5、第6、第7、第9 のようなポピュラーな交響曲を演奏することもあまり
ありません。これを聞き逃したら、生で「田園」を聞く機会はないかもしれないという危機感がありました。



期待にたがわず良かったですね。何がいいって、コントラバス、チェロ、ビオラの響きを堪能できたこと。コントラバスは
ジャズのライブで聞く機会はありますけど、通常1台です。それがN響ときたらコントラバスだけで 5 台もいるんですよ。
それが、チェロと一緒にピッチカートでボン・ボン・ボンと弦をはじいたりしたら、もうたまりません。聞いているだけで
幸せな気分になりました。

「田園」も十分良かったのに、アンコールで演奏したハイドンの「セレナーデ」、弦楽合奏版も負けず劣らず
よかったなあ。もっと少人数の編成で行うのは聞いたことがあるかもしれませんけれど、交響楽団のは初めてかも。

うちに帰っても熱がさめず、ヤフオクで「田園」の CD を買っちゃいました。ブルーノワルターが指揮する
ウィーン・フィルハーモニーです。届いたので、早速聞いたところ、アレ? CD なのにパチパチ音がする。
ジャケットをよく見ると、録音が 1936 年のモノラル版でした。どうやら SP レコードを CD にした製品のようです。
いやいや私が欲しいのはもう少し録音の新しいステレオ版ですから。

普段、ジャズやロック、フォークの LP や CD は買ってますけど、クラシックの LP や CD は選択する際の勘所が
分かりません。結局、欲しいのとは違うものが届いてしまいました。クラシックの沼は深い。トホホ。

7 月 31 日 映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」
スカーレット・ヨハンソン、ダスティン・ホフマン、ロバート・ダウニー Jr. という豪華な脇役陣にひかれて見に行って
きました。主人公を演じるジョン・ファブローという俳優の名前に聞き覚えはありません。

カリフォルニアでぶいぶい言わせていた雇われシェフが SNS で炎上したのを契機に店をクビになってしまいます。
そこから、初心に立ち返り、徐々に自分を取り戻すと同時に、失われた家族のきずなも修復するというお話です。

ストーリー自体はどうってことないんですけど、調理のシーン、特に肉を焼くシーンが印象的で、終わったら肉が
食べたくなりました。それに、地方の名店と言われるような店も店主ご本人が出演したりしていて、アメリカの外食事情に
興味がある人にはよい映画かもしれません。2014年作品とはいえ、SFX も CG もなく、自分としては好きなタイプの
映画です。

帰ってから調べてみて驚きました。主人公のジョン・ファブローは映画監督で、しかもマーベル作品の監督です。
マーベル映画というのは、アメリカン・コミックであるマーベル・コミックを実写化した作品のことで、アイアンマンとか
アベンジャーズの予告編は見たことがあります。要するに、お金になる映画の監督を任されている人です。
それが分かると、豪華な脇役陣も納得です、みんなマーベル映画に出演している人たちだからです。

ジョン・ファブローは学生時代から映画を撮っており、今回の映画は初心に返って映画を作りたかったということのよう。
だからSFXもCGもないんですね。映画館でマーベル映画の予告編を見ていると、何が楽しくてこんな映画を作って
いるんだろうと思うときがあります。こんな人が作っているんだとわかって、ちょっと安心しました。

7 月 31 日 映画 「フェラーリ
1947 年にフェラーリを創業したエンツォ・フェラーリの 10 年後をテーマにした作品です。自動車好きの K島としては、
この手のクルマの映画を見に行くとき、本物に近いレース・シーン、走行シーンを見ることができればそれで十分です。
それに、映画としてのストーリー性が備わっていればなお良し、備わっていなくても不平はいいません。こういう
基準ですから、昔には「汚れた英雄」なんていう邦画も見に行ってます。

その基準からすると、「フェラーリ」は合格です。1950 年代というと、私が生まれる前の話ですから、当然知りません。
また、兄の影響で好きになった車は 1960 年代以降ですので、今回登場するマシンにはなじみがありません。
それでも、フェラーリらしい音がしているかどうかは分かります。

例えば、同じような自動車映画に「フォードvsフェラーリ」があります。この中に登場するフォード GT40 の V8 エンジンと、
今回のフェラーリ335の V12 エンジンは排気量もエンジンの性格も異なるため、それらしい音がしているかどうかは
重要なファクターです。今回の映画では、私のようなクルマ好きが聞いても、エンジン音に関する不満はありませんでした。

現実問題として、当時のフェラーリが残っていたとしても、映画にあったようレース・シーンで使うには不向きだと思われ
ます。かつてのレーシング・カーをそれなりの速さで走らせるのは、Honda のように資金力も技術力もある大企業でも
大変です。まして、今回のレース・シーンのように、マセラッティと競り合うような本気モードで使うには、当時のマシン
では難しいような気がします。そこは、一点もののレプリカを作って対応したのでしょう。それでも、フェラーリらしい
ビチビチした音がしてました。

走行シーンもさることながら、映画としてもまともにできており、会社経営、家庭のどちらにも問題を抱えるフェラーリの
苦悩がよく分かりました。上述の「シェフ」と異なるのは、グレーな問題はグレーのまま映画が終わることです。
これは好感がもてました。

というのは、映画のように問題がきれいに解決することなんて、人生ではそうそうないからです。解決しないままズルズル
時が経ったり、時間が解決してくれたりというのが現実です。そういう点では、映画なのにリアルさを感じました。
そうでいながら、最後にでてくる一文に救われた気もします。曖昧なものを曖昧なままにしながらも、フェラーリなりに
筋を通していたことが伝わったからです。

フェラーリ製のクルマとは一生縁がありませんでしたけど、フェラーリという人間は少し理解できたようです。


6 月 10 日 CBX、修理完了せず
仕事の忙しさ、タケノコチェック、山登りにかまけて乗らなかったバイク、ようやく乗ることができました。だが、しかーし、
隣の西予市あたりまで来て、エンジンを見ると、なにやら濡れています。
さっき、水たまりを通過したので濡れたと思いたいところですけど、何となく様子が違います。そうです、オイルです。
オイルがエンジン・ヘッドの部分から漏れているのです。

2 月にバイク屋から引き取って来た際に走ったのを別にすれば、今回が事実上の試運転。それが、家から 20km も
走っていないのにオイルが漏れたのですからたまりません。まあ、2 月にすぐに試運転しなかった私もよくなかった。
ということで、再修理決定です。

修理のため遠方までいってる空冷ポルシェのように、ウチのバイクも地元のバイク屋で診てもらうレベルじゃなくて、
遠くのバイク屋まで持って行かなきゃならないレベルなのかもしれません。でもなあ特別なバイク、例えば 6 気筒の
CBX 1000 とか楕円ピストンの NR 500 ならいざしらず、単気筒の CBX250RS なんだよなあ…。

6 月 10 日 桁違い
用事があってバイク屋に行ったところ、古いバイクを見に来ているお客さんと出会いました。何か珍しいバイクに乗ってる
のか尋ねると、いや、四輪だけとのお返事。何と空冷のポルシェ。そういえば、たまにきれいな空冷ポルシェを見かけます。
そのオーナーでした。

メンテナンスや修理は、松山あたりまで持っていってるのかお尋ねすると、四国中央市にあるポルシェセンターが
積載車で取りに来て、修理が終わったらまたもってきてくれるといいます。ちなみに、ポルシェセンターというのはポルシェの
正規ディーラーのこと。ポルシェセンターは県庁所在地の松山にもないんですね。

四国中央市といえば八幡浜から 120km 以上離れた距離にあり、高速道路を使っても 2 時間はかかります。
地方で古い高級外車に乗るって大変です。


6 月 10 日 寒風山〜笹ケ峰
「梅雨に入る前に」という理由で行ってきました寒風山。

梅雨前にということではバイクにも乗りたいところです。でもね、山登りほど体力を必要としないバイクは、もう少し歳を
とっても乗れますけど、山は今のうちじゃないと登れません。なので、山を優先。

愛媛の山をご覧ください。



7:30 に登山開始。「クマらしき動物の目撃情報があります」という注意喚起は初めて。四国じゃクマの目撃例も
事故も聞いたことなし。



寒風山方面にはガスがかかってる。ガスの中に入ると涼しくて快適。



2時間で寒風山に到着。今日の目的は寒風山から笹ケ峰(正面)までの稜線を歩くこと。



もう少しなんだけどここからがきつい。



笹ケ峰到着。寒風山から2時間、出発地点から4時間。笹ケ峰山頂から西を見る。手前に見えるのが瓶が森、
その向こうが石鎚山。土曜日なので人が多め。



笹ケ峰山頂から東の尾根を見る。手前の山で見えない向こう側が2週間前に登った東赤石山付近。



後は急坂を林道まで下りましたとさ。

6 月 10 日 炎上?
先日、親戚の法事がありました。法事の最後、和尚様が「法要も無事にえんじょういたしました。」と挨拶されました。
「えんじょう」?

「えんじょう」と聞いて真っ先に頭に浮かぶ漢字は「炎上」です。「炎上」したら無事どころの話ではありません。
法要後、義母に聞いたところ、「えんじょう」は「円成」という禅宗の用語で、無事に成就することを指すそう。
勉強になりました。


5 月 19 日 東赤石山
数少ない晴れ間をタケノコの見回りや草刈りに取られるがままにしていると梅雨に入っちゃいます。これじゃいけないと、
天気が安定していた 5/10(金)に行ってまいりました東赤石山。

こんな平日に山で出会うのは同年代の人ばかり。上りで追い抜いて行った広島氏(仮名)は昨晩に広島から来て、明日は
西赤石山に登るといいます。同様に追い抜いて行った埼玉氏(62歳)は、埼玉からきて昨日に徳島の剣山に登って、
明日は九州に渡るといいます。山頂で出会った千葉氏(64歳)も千葉からきて昨日に徳島の剣山に登ったという、
化け物のような人ばかり。

ちなみに広島氏は仕事を1日休み、埼玉氏は6月中旬まで休みをとって九州の山を登るそう。体が動くうちにしたいことを
しなきゃという言葉に強く同感。

そんな皆さんが口を揃えて「道が分からん」、「怖かった」というのは、東赤石山荘〜八巻山〜東赤石山に至る稜線ルート。
埼玉氏にいたっては早い時点で私を追い越していったはずなのに、岩稜帯で迷ってついさっき山頂に着いたそう。
怖かったのは私だけじゃなかったのね。

ここのコース、頂上近くにある山荘が閉鎖されてからコースを整備する人がいなくなって荒れてきている模様。山荘に
着く少し前から、ルートを示すピンクテープがまばらになり、迷いそうな箇所がありましたし、山荘付近の標識も壊れて
見えにくくなってました。人にはお勧めできないなあ。



筏津を7:00 に出発。気温は 5℃と肌寒い。



見ごろのアケボノツツジ。



ようやく稜線が見えてきました。ガイドブックで読んでいたけど本当に岩だらけ。



赤石山荘に到着。ここまでで 3 時間 40 分。山荘はオーナー高齢により閉鎖中。



地図では赤石山荘から稜線へのルートと、稜線を迂回して東赤石山頂直下までのルートがあることになっているけど、
後者がどこにあるか分からず。しかたがなく「難路」と小さく書かれた標識をたよりに前者に向かう。「難路」どころか、
道標、ピンクテープ、ペンキでのマーキング一切なし。どこからでも登れそうだけど、どこから登っていいか分からず。
こんなの初めて。



稜線から見た瀬戸内海側の景色。稜線に出たらルートがあるかと思いきやさらに厳しいことに。




東赤石山手前の八巻山。ここがゴールの東赤石山じゃないのね。目指す山頂はまだまだ遠い。もう泣きそう。ここで
引き返そうかと思ったけど、怖い箇所を越えてきたばかりなので前進あるのみ。



山荘から 1 時間 20 分。スタートから 5 時間。右手が瀬戸内海。



山頂からの景色。先ほど通ってきた八巻山が見える。一番遠くに見えるのが石鎚山。

結局、下山したのは 16:45。自分としては、昨年の瓶が森(標高差1300m)が最も難しい山と考えていたのに、今回の
東赤石山(標高差1000m)は歩行時間がさらに長くなり、上りが 5時間、下りが 4 時間でした。

当初の想定よりも時間がかかってしまったのは赤石山荘〜八巻山〜東赤石山のルートが不明瞭かつ上級者向け
だったことです。少なくとも手持ちのガイドブック、地図にはそのような情報はありませんでした。ひょっとすると、
ネット上で他の方の登山記録を見れば分かったかもしれません。でもね、行く前に情報過多になって、新鮮な感動や
驚きがなくなるのは避けたいという気持ちもあるので難しいところです。

5 月 19 日 タケノコ・バスター
つかの間の晴れ間、カミさんの実家の裏山に登りタケノコを除伐。
先日の地震の影響調査もかねてます。幸い、地震による倒木や地割れはありませんでした。タケノコの除伐は 6 月まで
毎週続けます。



あたりかまわずはえてきます。奥に見える放置林が元凶。そこから越境して勢力範囲を拡大しようとします。



この日は 7 本持って帰りました。

4 月頃って天気が安定しないんですよね。1日晴れたらその後の3日はぐずついている感じです。そんな貴重な晴れ間は、
タケノコの見まわりや家の前の川の草刈にとられちゃうので、バイクに乗ったり、山登りをしたりすることができません。

ホームページを更新するネタがないっていうことです(更新しないことの言い訳)。

5 月 19 日 豊後水道地震
旧聞になりますが、4/17 の豊後水道地震、怖かったですね。私はフトンに入って Walkman を聞いていました。そうしたら、
地鳴りの後に揺れが始まりました。揺れる前から地鳴りがしたので、ただごとでないことは明らかでした。
ついにきたか南海トラフ!そう思いましたね。
愛媛に引越して以来、初めての大きな揺れです。それもそのはず、愛媛では記録を取り始めて以来初の大きな地震
だそうです。愛媛県愛南町、高知県宿毛市が震度6弱、宇和島が5強、八幡浜は5弱でした。



2011年3月11日に東京都小金井市で経験した東日本大震災も5弱でした。人生で 2 回目の震度5弱です。
震度は同じですけど、揺れ方は異なります。前者は地盤が水の上で揺れているような不思議な揺れで、後者は
強いですけど単純な揺れです。

揺れが収まってから家の中を点検したところ、もともとバランスの悪かったものがいくつか落ちた程度でした。食器が
落ちて割れることも、本棚が倒れて本が床一面に広がるようなこともなかったのは幸いです。

報道を見ていて分かったのは、5弱と5強では被害に大きな違いがあるということ。5強だった宇和島から南の地域では
屋根瓦が落ちたり、石垣が崩れたり、壁にひびが入ったり、食器が落ちて割れたりしていました。

家の中の被害はなかったものの、次に心配なのは津波です。特にかみさんの実家は港から近く、海抜が低いため、
心配です。万が一に備えて着替えていたところ、津波の心配がないとテレビで報道されたため安心しました。

この日以降、大きな余震はないものの、震度1〜3 程度の余震が続いています。仕事をしている部屋はあまり耐震に
気を遣っていなかったので、仕事をしている最中に背中方向から本棚が倒れてきたら危ないことに気がつきました。
今さらですけどつっぱり棒を入れることにします。

心配をして連絡をくださった親戚、友人、知人の皆さま、ありがとうございました。


2 月 29 日 故障がとまらない
オートマ修理が終わったゴルフ、また故障しました。今回はドアミラーの脱落。

自動車専用道路を走っていたところ、左の視界で何かが動くのが見えました。前から何か落ちてきてぶつかったのかと
思ったものの、前を走っているクルマはいません。左のドアミラーを見ると何か違和感があります。

専用道路を下りてから停車して確認すると、ドアミラーのボディは残っているのに、鏡の部分がそっくりなくなっています。
どうやら、接着剤で止まっていた鏡の部分が剥離した模様。落ちるときに当たったらしくドアに小さな傷までついています。
歩行者、バイク、後続車など第三者を傷つけることがなかったのは不幸中の幸いです。本来であれば、落ちた部品を
確認したいところ。でも、自動車専用道路なので、落ちた部品を探すことはできません。

こちらが問題の左側。



走る機能に問題がでないように、予防保守としてエンジン回りや足回りの部品を交換し、先日はタイヤも交換したばかり。
なのに、今度はミラーの故障です。以前のっていた 1982 年製のクルマはつくりが違っていたらしく、製造から 20 年を
経過しても天井が垂れたり、ミラーが剥離したりするようなことはありませんでした。現在のクルマは 2003 年製。
接着剤やプラスチック部品を多用しているせいか、劣化が激しいように感じます。

あと、4 年は乗りたいけど、大丈夫でしょうか。

2 月 29 日 CBX修理完了
昨年 8 月に修理に出したバイク。修理の順番が一向に回ってこず、とうとう年越しです。さすがに暖かくなる頃までには
終わらせてほしいと思い、催促しに行ったところ、まさに修理中でした。

それから 1 週間後、ようやく修理完了です。原因は、2022 年の冬の故障時と同じもの。カーボン付着によるエンジンの
圧縮漏れでした。2022 年の際はカーボンを溶かす化学処理剤を入れました。その結果、半年くらいはもったものの、
結局、エンジンがかからなくなってしまいました。今回は、エンジン・ヘッドをばらして、バルブの研磨などを行いました。

エンジンはかかるようになったものの、何だかセルの回りが弱々しいのが気になります。バッテリーが弱ってるだけなら
いいんですけど。

今年は故障しないといいなあ。

2 月 29 日 ゴルフ故障
バイクだけじゃなく、クルマも故障です。昨年、11月に高知に行った頃から少し予兆はありました。何か、オートマの
挙動が不審なのです。年明けになったら明確な症状が出始め、エンジン始動直後はアクセルを踏んでも進まないことが
ありました。

エンジン・オイル交換の際、クルマ屋さんに見てもらったら、オートマのオイルが漏れていることが判明。オイルが減った
ことから挙動がおかしくなっているとの見立てでした。

オイル漏れの箇所を特定し、オイルを入れ直すだけで済むならよいのですが、オートマ一式の交換となったらウン十万円
コースのため、乗り換え必至です。また、以前の車の常識ではオートマのオイルを交換すると故障のリスクがあるため、
極力避けるというものでした。

ところが、今回調べてみると、2003 年頃に製造した欧州車では頻繁に交換するのが当たり前のよう。知らなかったなあ。

幸い、オイル漏れの原因は O リングの劣化という軽微なもの。クルマ屋のお兄ちゃんがガッツで修理してくれて、
大事に至りませんでした。

右側のトレイの上に見えるのが問題の O リング。



ゴルフ4 は製造から 20 年が経過し、走行距離も 11 万km を超えました。あと、4 万km は乗りたいなあ。

2 月 29 日 Stop Making Sense
「日々雑感」で映画「アメリカン・ユートピア」を取り上げたのは、3 年前の 2021 年のことです。その「アメリカン・ユートピア」
のご先祖さまにあたる「Stop Making Sense」という映画が 4Kレストアされたので見に行ってきました。

この映画、トーキングヘッズとして行った 1983 年のライブを映像化したものです。私が 20 代の頃に見た、肩パッドの
入ったスーツで踊りながら歌うデイヴィッド・バーンは、このときのものでした。

「アメリカン・ユートピア」に比べると粗削りな印象を受け、洗練さでは劣っているように感じます。でも、それに反比例する
かのような強烈なエネルギーを感じました。帰ってから YouTube で「アメリカン・ユートピア」の一曲を見返したところ、
物足りなさを感じたほど。そりゃあ、当時のバーンは 30 歳くらいであるのに対し、「アメリカン・ユートピア」は 60 代
後半ですから体力が違います。当たり前といえば当たり前。

「アメリカン・ユートピア」は「Stop Making Sense」の延長線上にあることがよくわかりました。バーンに一貫性があるのか、
それとも、音楽的な変遷をした結果、一回りして元に戻ったのかどちらでしょう。

どのようなプロセスを経たかはともかく、30 年近くたっても、懐メロではなく、同じようなことを違うメンバーで
演じているバーンの一貫性は素晴らしい。

私ももう 61 歳、それだけの信念を通すものが自分にあるのか自問自答してしまいました。

2 月 29 日 松山でレコード漁り
宇和にあるジャズ喫茶に行くようになってから、ジャズ・レコードの輸入盤に興味を持っています。この時代、インターネット
で探せば、いくらでもヒットして、値段に糸目をつけなければ大抵のものは手に入ります。でも、それじゃあつまらない。
以前のように、中古レコード屋で漁ってみたいと思い、松山まで行ってきました。

テーマとは関係ないけど、松山といえば、お城と路面電車。



最初に行ったのは、老舗の A 店。それなりの品ぞろえはありますけど、お目当ての輸入盤はありません。東京と比べちゃ
いけないよなと自分に言い聞かせながら、次は、新興の B 店。HP を見ると輸入盤をメインに扱っているように見えたので、
期待度大。でも、思ったほど輸入盤がなく、残念。輸入盤があるのはヒップホップ系など違うジャンルのようです。

さらに、リサイクルショップの C 店。経験上、リサイクルショップには期待してません。思った通り、イマイチな内容。
でも、エリック・アンダーセンを\300 で売っていたので、お買い上げ。ジャズではありません。

最後は古本屋の D 店。ここはちょっと期待してました。思ったよりもレコードが少ないので、ああ、外れかあと思いながら
レコード箱を漁っていたら、カウント・ベイシーの輸入盤を発見。しかも、国内盤と変わらない値段です。早速買って帰り、
聞いてみたところ、ビンゴ。ジャズ喫茶で聞いたような音色がします。

ジャズ喫茶で聞くレコードの音がいいのは、オーディオの違いによるものだと思い込んでいました。でも違うんですね。
オーディオが違うのは当然のことながら、レコード自体も違うことが分かりました。だって、ウチのチープなオーディオで
聞いても音の差が歴然だから。まず、最初のサックスの音からして、アレ?と思うくらいミズミズしい音がするのです。

それにしても、D 店、それなりの値段で売っている輸入盤もあったのに、私が買った盤は国内盤レベルなので割安
でした。店のご主人が価値を知らないはずはありません。何ででしょう。何か考えがあるのかなあ。やぶ蛇になりそうで
怖くて聞けません。

松山に行った際の楽しみが増えました。

2 月 29 日 山口晃
先日、NHK教育テレビで画家の山口晃を見ました。いやはや、この方は面白い。絵を描く才能だけでなく、語り口は
落語家か講談師のようで、反骨精神も旺盛。おまけに絵を描いているときの引き締まった顔つきはモデルのよう。天は
二物も三物も与えるという見本です。

なかでも興味深かったのが、東京パラリンピックのポスターを引き受けた際の葛藤を描いた漫画。自分の心の動きを
文と絵でこれほどうまく描けたら楽しいだろうなあ。

「仕事の依頼には強烈な安堵感が伴う」という一文には激しく共感。高名な画家でもそうなんですね。私もフリーランスの
端くれ。面倒な仕事でも打診があると、「嫌だなあ」と思いつつほっとするのでよく分かります。

山口晃は、成田空港や地下鉄日本橋駅のパブリックアートを手がけているので、都会に住んでいたら作品を見られ
そうです。でも愛媛に住んでいたらそんなわけにはいきません。
調べてみると、2016 年に道後アート2016 というプロジェクトで道後温泉に関する作品を温泉界隈で展示していた模様。
大半の作品は撤去されてしまったものの、「ふなや」という温泉旅館にはまだ絵が残っていることが判明。

早速、行ってきましたよ。道後で「ふなや」といえば江戸時代から続く老舗中の老舗。皇室の方がお泊りになるような
旅館ですから、緊張します。でも、入口で「絵を見に来ました」と伝えたら、あっさりかつ丁重に案内してくださいました。
さすが、老舗は懐が深い。





該当の絵は「武人図」です。庭にある建物の縁側の障子紙に刷られていました。馬とオートバイを足して二で割った
ような絵を見ると、山口晃、どうやらオートバイ好きのようです。宮崎駿もそうですけど、乗り物好きの絵描きが想像上の
乗り物を描いた絵を見るのは楽しいですね。

山口晃、家に一枚欲しいなあ。