子供が産まれたら行けなくなるとの焦燥感に駆られ、カミさんが里帰りしているのをいいことに8月末にベイシーに
行って来ました。私が焦るのには訳があります。初めてベイシーに行った時、「東京から来ました」と伝えると
「東京じゃ門前仲町のタカノがいいよ」とマスターが教えてくれました。帰ってすぐに行けば良かったのですが、
いつでも行けるとの甘えから行きませんでした。そうこうするうちにタカノは閉店してしまいました。ベイシーで同じ
轍を踏みたくないので焦ったのです。
ただ行くだけではつまらないので、前から目をつけていた栗駒山登山と絡めて行ってきました。その日は6:04の
新幹線で東京から岩手に向かいます。栗駒登山を無事に終え、須川高原温泉で温泉につかり、一関に着いた
のは午後4時過ぎです。それからベイシーに向かいます。昨年も来ていますので、そんなに懐かしさは感じません
が、店が開いているかドキドキします。ああ、良かった。開いていました。店の様子は変わっていません。マスター
の無愛想さもあいかわらずです。昨年は落としていたヒゲも伸びています。マスター達がいる席には今日も若い
女性がおり、話をしています。いつ来ても不思議なことに、マスターの回りには若い女性がいます。どのような
仕組みなのか分りませんが、それもジャズの不健全さに似合います。お客さんは私を入れて4人です。土曜の
せいか結構出入りがあります。会社帰りと思しきワイシャツ姿のサラリーマンもいます。会社の帰りにベイシーに
立ち寄れるなんて羨ましいことこの上ありません。今晩はこの街に泊まることにしていますので、帰りの電車の
心配もありません。
3時間ジャズにひたります。ウィスキーを飲んで少しだけ酔っ払い幸せな気分です。今回はバディ・リッチのドラム
ソロとアート・ペッパーにやられました。ここ以外のお店でバディ・リッチを聞いたことがありません。やはりマスター
がドラマー出身だからでしょう。「これでも聞け!」といわんばかりのドラムソロに、こちらも「参りました」という気に
なりました。考えると、私がベイシーに惹かれるのは音の良さもさることながら、その選曲にあることに思い到り
ました。さすがに全てが自分に合うわけではありませんが、いく度に「これはいいなあ」というものが聞けるため
です。ようやくカウント・ベイシーがかかったので、それを聞いてから店を出ました。
今回はマスターの元気が伝わってきたのが収穫でした。前は破れていたシートも全て張り替えられ(もう限界だっ
ただけかもしれませんが)、店のコーヒーカップも新たにおみやげとして売り出されていました。少なくともマスター
が店に対して熱意を失っていないことが分ったのは収穫でした。また来た時もベイシーはいつものようにジャズを
流していることでしょう。(2002.9.8)